残念ながら日本では、トラックはしょせん「運んでナンボ」のクルマであり、まだまだその文化的側面や歴史的価値が認知されているとは言い難いのが実情だ。
名車と謳われたトラックシャシーさえ、ほとんど現存せず、まして星の数ほどつくられてきたトラックの上物(うわもの)となると、現車はもちろん、写真や資料すら残っていないケースがほとんどである。
ここに1冊のアルバムがある。写真だけで、写真を補足する資料はほとんど残されていないのだが、中には百年近く前の特装車も登場する、まさに「幻のアルバム」なのだ。
今では空港サービス車両の第一人者として知られる株式会社犬塚製作所に伝わる門外不出のこのアルバムこそ、同社が日本の特装車のパイオニアであることを如実に示す歴史的な遺産だ。
この「幻の特装車アルバム」を中心に、犬塚製作所のトラックづくりの歴史を紐解いてみた。全3回シリーズの1回目は、日本の自動車産業の黎明期に同社が作り上げた初期の特装車を紹介する。
文/トラックマガジン「フルロード」編集部 写真・協力/株式会社犬塚製作所
*2013年5月発売トラックマガジン「フルロード」第9号より
1919年創業 日本初の天秤式ダンプを開発
1886年(明治19年)、佐賀県伊万里に生まれた犬塚伊三郎は、旧日本海軍の佐世保海軍工廠(現・佐世保重工業)を経たのち、妻と子供を連れて3人で上京。
1915年に東京・日比谷に設立されたバス・トラックの車体製造会社である簗瀬商会(現・ヤナセ)でしばらく働いたあと、1919年、品川区西品川で犬塚特殊自動車工業を創業した。
これが我が国初の特装車専門メーカーである犬塚製作所の始まりである。
当初は個人操業であったが、海軍工廠や簗瀬商会で培ったシリンダやギヤポンプなどの技術を礎に、伊三郎は日本初の「天秤式(懸架式)ダンプカー」の開発に着手した。
ちなみに日本の特装車の草分け的存在として、東の犬塚製作所に対して、西には1922年創業の矢野特殊自動車(創業当時・矢野オート工場)がある。創業者の矢野倖一は、現存する最古の国産乗用車「アロー号」をつくったことでも知られている。
矢野倖一は創業の2年前となる1920年に日本初の「ワイヤ引き揚げ式ダンプカー」を完成させている。犬塚製作所の天秤式ダンプカー(1919年)とわずか1年違いとは、興味深いエピソードである。
1923年、犬塚製作所は堅型ホイストダンプ車を完成させた。ご存知のように同年9月1日には関東大震災が発生したが、このダンプカーは震災の復興作業の能率化に大いに貢献したという。