発掘! 幻の特装車アルバム 犬塚製作所のトラック今昔物語 戦中・戦後の特装車編【軍用車と建設系特装車】

発掘! 幻の特装車アルバム(2/3) 犬塚製作所のトラック今昔物語【戦中・戦後の特装車編】 軍用の電気熔機自動車。電熔機(電気溶接機)を搭載したトラック?

 犬塚製作所は日本の特装車のパイオニアとして知られている。

 黎明期から開花期を迎えた同社は、天秤式ダンプ、楕円溶接構造タンクローリ、バキュームカー、クレーン搭載車、散水車、航空燃料給油車、架線修理車などなど、まさに百花繚乱の日本初の特装車を次々と開発した。

 1919年の創業から四半世紀を経た頃には、軍需会社として従業員3000人を抱える一大工場に……。軍用車の中でも特装色の強い車両を得意としていた。しかし、太平洋戦争の終戦とともに犬塚製作所は新たな岐路に立つことになる……。

 全3回の「幻の特装車アルバム」第2回は、戦時下から終戦へ激動の時代を駆け抜けた犬塚製作所の足跡を辿る。

文/トラックマガジン「フルロード」編集部 写真・協力/株式会社犬塚製作所
*2013年5月発売トラックマガジン「フルロード」第9号より

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戦時下の犬塚製作所と再出発

 様々な「日本初」の特装車を開発してきた犬塚製作所は、1933年には東品川に移転、1937年には株式会社に法人組織化、1938年には、社名を現在の株式会社犬塚製作所に変更している。

 しかし、やがて時代は戦時下へ……。

 犬塚製作所も軍需会社に指定され、本社を品川に置くも、東京原町田に地下工場も備えた敷地10万坪の一大工場を有することになった。従業員は約3000人が働いていたという。

 特徴的なのは、軍用車両の中でも特装色の強い車両を製造していたことだ。

 ダンプや給油車などのほかに、無線送受信車、靴(軍靴)修理車、装蹄鉄自動車(軍馬の蹄鉄用)、電気炊事自動車、修理自動車(今でいうサービスカーのことだろう)、観測器具運搬車、電気溶接自動車、聴音機トレーラなど、極めて珍しい軍用特装車がつくられていたようだ。

 しかし、第2次世界大戦が終戦を迎えると、原町田工場は接収され、犬塚製作所はあらためて民生用の特装車メーカーとして再出発することになった。興味深いことに、戦後いち早く行なわれたのは、トラックではなく、日産の乗用車「ダットサン・デラックス」のボディの試作だった。

発掘! 幻の特装車アルバム(2/3) 犬塚製作所のトラック今昔物語【戦中・戦後の特装車編】
ダットサン・デラックス(DB型)の試作ボディ(1948年)

 戦後、日本はGHQから乗用車の生産を禁止されていたが、1947年に300台限定でダットサン・スタンダード(DA型)の販売が許されたのを皮切りに、1948年には、その後継としてダットサン・デラックス(DB型)の生産が始まろうとしていた。

 当時、ダットサンのボディは、犬塚製作所をはじめ数社が外注として製造・架装を請け負っていたが、犬塚製作所もDB型のボディの試作を依頼され、1948年1月、その製品の完成度を讃えて、当時の日産重工業から犬塚製作所に感謝状が贈られている。

 ただ、ダットサン・デラックスについては、生産設備が整っている中日本重工業(現・三菱重工)に発注され、同年8月から生産が開始されている。

第二の開花期

 1950年代は、犬塚製作所の特装車にとって第二の開花期となった。その原動力となったのが、犬塚伊三郎の長男である犬塚敏郎(1957年に二代目社長に就任)であった。

 1951年には、純国産技術のみで開発された日本初のコンクリートミキサー車が誕生。これはPTO駆動ではなく独立したエンジンを備えているものの、現在も主流の傾胴型ドラムを採用した車両で、今日のミキサー車の原型をなす車両であった。

 この年は日本初の特装車の開発ラッシュとでもいうべき年で、このほかにも塵芥収集車、街路清掃車、梯子式高所作業車などを開発している。

 また、セメントバルク車も犬塚製作所が日本で初めて開発しており、1951年にはスクリュー式バラセメント運搬車、1956年にエアスライド式バラセメント運搬車、1960年に空気圧送式バラセメント運搬車を開発。

 今日も使われる各タイプのセメントバルク車の原型は、この時すでにできあがっていたのである。

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