三菱の時代
この流れを変えたのが1980年、三菱自工から正規代理店を通じて正式に業務委託された、FE1型キャンターのノックダウン組立でした。ほぼ全量がポルトガル市場向けでしたが、たった1年で1000台を生産するという規模だったのです。
この頃は、キャンターと並行して前述の様々なクルマを組み立てていましたが、その後三菱車も、キャンターに加えて中型トラック「ふそうFM」(ファイターFM)、ピックアップトラック「L200」(フォルテ/ストラーダ)、小型商用車「L300」(デリカ)、SUV「パジェロ」と、生産モデルを拡大していきました。
そして1990年、現地企業との合弁販社ミツビシモータース・ド・ポルトガル(MMP)が、フェレイラ家が所有するトラマガル工場(当時はIAM=自動車製造産業という会社だった)の株を買収して完全子会社とし、三菱車の生産オペレーションへ専念していくことになります。社名もトラマガウトに変わりました。
その6年後の1996年に、トラマガウトは三菱自工の完全子会社・欧州三菱トラック(MTE)へと変貌します。三菱自工は、欧州市場向けの乗用車や商用車、トラックを各地で生産していましたが、車種ごとに生産拠点を集約する体制へ改め、MTEは欧州向けキャンター専門の拠点に位置づけられました。
2004年、今度は三菱自工が乗用車部門(現・三菱自動車)と商用車部門(現・三菱ふそうトラック・バス)で分割され、それぞれ違う会社として歩むことになります。MTEは三菱ふそうが継承し、社名もMFTEとなって現在に至ります。ドイツ資本のダイムラーグループとなりましたが、組織的には三菱ふそうの子会社のままとなっています。これは、三菱がトラマガルに根づいていることと無関係ではないと思われます。
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