トラックをはじめとする「働くクルマ」は、暮らしや社会を支える「縁の下の力持ち」だが、人間を拒むような極限の地にも人々の営みがあり、それを支える「縁の下の力持ち」がいる。
日本を遠く離れた極寒の地・南極大陸。そこで60年以上継続して観測を続けているのが日本の南極地域観測隊だ。
1910年~1912年の白瀬中尉による南極探検を皮切りに、日本の本格的な南極観測は1956年から開始された。彼らの業務や暮らしをサポートしているのが雪上車やトラックなどの車両群だ。
日本の南極観測を支える車両と人々……。その実際を国立極地研究所南極観測センター設備支援チーム(取材当時)の石﨑教夫氏に聞いた。
文/フルロード編集部 写真・資料提供/フルロード編集部・国立極地研究所
*2017年9月発行「フルロード」第26号より
■国立極地研究所が行なっている日本の南極観測活動
東京都立川市にある国立極地研究所は、大学共同利用機関法人情報・システム研究機構を構成する研究所の一つとして、地球・環境・生命・宇宙などの研究分野の研究者コミュニティと連携し、極地に関する科学の総合的な研究と極地観測を実施している研究所である。
ちなみに極地というからには、南極のみならず北極も研究対象だ。日本の南極観測に関しては、南極観測統合推進本部(本部長・文部科学大臣)のもと、オールジャパンで推進されている。
極地研は、南極観測の中核として、大学や研究機関などの多くの研究者と協力して研究観測を行なうほか、昭和基地などの維持管理も行なっている。研究観測に関しては、情報通信研究機構、気象庁、海上保安庁、国土地理院はそれぞれ定常観測を担当。
また南極観測船「しらせ」は、海上自衛隊によって運航されている。南極観測隊(正式名称は日本南極地域観測隊=JARE)は、夏隊と越冬隊に分かれ、夏隊は、南極の夏にあたる12月~2月の3カ月間観測活動を行ない、越冬隊はそれからさらに冬を越して1年間観測を続けることになる。
観測隊員は、研究観測や定常観測などを担当する観測系の隊員と、基地の設備や生活の維持を担当する設営系の隊員で構成されている。限られた人数で観測から生活まで行なうため、隊員はいずれもその道の専門家であることが求められているのだ。
■東オングル島内で活躍する装輪車
さて、本題の南極観測を支える車両に話を移そう。南極観測隊では、使用する車両を2つに大別している。装軌車と装輪車である。装軌車はキャタピラなどの無限軌道車のことで、雪上車や建機関係がこれに当たる。
いっぽう装輪車はタイヤを履いた車両のことで、軽トラック、2t車、4t車、フォークリフトなどのこと。2t車には、平ボディのほかダンプやキャブバッククレーン、高所作業車など建設系の特装車もラインナップしている。
トラックはいすゞエルフとフォワードで、日本仕様のクルマをそのまま持って行っているので、なんとアドブルーを必要とする尿素SCR(主にNOx低減を担う排ガス浄化装置)を備えたクルマもあるという。
装軌車は約60台、装輪車は約30台保有しており、もちろん南極に置きっぱなしなので、その管理は非常に大切である。
装輪車は、基本的に氷上や雪上を走らず夏(南半球にあるので12月頃)にしか使用しない。また、装輪車は日本の観測隊の昭和基地周辺、すなわち基地のある東オングル島内での使用に限られている。
12月の下旬くらいに「しらせ」が着く頃になると、気温はマイナス10℃~プラス5℃まで上昇する。その時に雪を溶かし、トラックなどが走り回れるようにして「しらせ」が日本から積んできた荷物を運んだり、さまざまな施設の設営や修理に使わたり大忙しになる。
その期間は短く、せいぜい3カ月ほど。あとの9カ月は装輪車は文字通り冬眠している。今はかまぼこ型の車庫ができているが、昔は野ざらしであった。
車庫ができる以前は、雪が巻いて車両の後ろに溜まってしまうため、雪がつかない風通しのいいところで頭を風上に向けて保管していた。
ただ、南極のブリザードは台風並みで、雪が硬くて粒の小さいサンドブラストのようになって吹きつける。そのためフロントガラスは真っ白になって1年に1回は交換していたという。