自動車の受け皿は、いうまでもなく道路だ。道路が通じていなければ、緊急車両も入っていけず、救援物資も運べない。そのことを誰よりもよく知っているから、3.11における国土交通省東北地方整備局の動きは迅速だった。
1車線・緊急車両のみの通行でもいい、とにかく救援ルートを開くことを「啓開」というが、あの東日本大震災の大混乱の中で、ズタズタになった道路網の啓開に挑み、次々と救援ルートを開いていった、「くしの歯作戦」と称する東北地方整備局の道路啓開のオペレーションは、めざましい成果をあげた。
そこには、世間でいう「お役所仕事」のイメージはみじんもない。仙台市青葉区の東北地方整備局を訪ね、川嶋直樹企画部長(当時)、林崎吉克道路部道路調査官(当時)に「くしの歯作戦」の舞台裏を聞いた。
文/トラックマガジン「フルロード」編集部 写真/フルロード編集部・東北地方整備局
*2011年8月発行「フルロード」第4号より
3月11日の発災~東北地方整備局の初動の立ち上げ
東北地方整備局の建物は築56年。マグニチュード9.0は、この建物の壁や廊下、階段などに今も爪跡を残し、「危険箇所」も散見される。
「立っていられないくらい、めちゃくちゃに揺れました。しかも長かった……。室内は物が散乱して大変な状況でしたが、うちの防災課長は、まだ揺れが収まっていない段階から『災対室に行って!』と召集をかけていました」。
ちなみに、この防災課長は女性で、その後も震災に動じず的確な判断を下してめざましい働きを見せる、東北地方整備局のサムライの一人である。
災対室(災害対策室)は、ふだんは使われていないが、災害が起きれば、ここが対策本部となる。大小のDLPディスプレイが数多くしつらわれ、各テレビ局のニュースから国道のライブカメラの映像に至るまで、さまざまな情報収集が可能だ。
災害対策室に集まった幹部や職員は、さすがに呆然自失の呈だったが、ほどなくして情報収集に取りかかる。
「私どもには『みちのく号』というヘリコプターがあるのですが、これを無人で飛ばすことを防災課長が進言しました。無人というのは、無人操縦ということではなくて、私どもの職員を待たず、委託しているパイロットなどフライトクルーだけで飛ぶことです。