お宝発掘62年前の建柱車! アイチコーポレーションがレストアした三輪トラックに秘められた歴史

なぜ「建柱車」だったのか?

2012年に開催されたアイチ創立50周年記念式典で展示されていたA型建柱車。当時は現在と異なるカラーリングだった
2012年に開催されたアイチ創立50周年記念式典で展示されていたA型建柱車。当時は現在と異なるカラーリングだった

 ここで奇妙に思えるのが、「なぜ、くろがね車の販売に携わっていた人たちが、建柱用クレーン装置を手掛けるようになったの?」という点です。先にネタ明かしすると「もともとくろがね車ベースの特装車として建柱車を手掛けていたから」です。そのキーパーソンだったのが、アイチ創業者の鈴木氏でした。

 1916年生まれの鈴木氏は復員後、大手特装車メーカー・東邦特殊自動車(後に旧・東急車輛製造が吸収)を経て、1955年に愛知くろがね販売へ転職したという経歴の持ち主で、東邦特殊時代には外部企業への生産委託や特装車ユーザーへの営業活動で、その才を発揮していました。

 愛知くろがね販売では、かねてより電気工事業界からの要望が強かった、建柱車の商品化に取り組んでいました。建柱車は当時最新の特装車でしたが、ユーザーの要望をきめ細かく採り入れながら設計し、それを外部企業で生産するという、東邦特殊時代に確立した手法を踏襲して開発されました。

 同一といえる証拠はないものの、資料を見比べると、東邦特殊の建柱車とくろがねの建柱車(1960~61年頃?)のそれぞれの上モノには、共通するセンスを感じられるところがあります。

アイチはファブレスメーカーのさきがけだった!?

 創業当時の愛知車輛は、電気工事関係に特化した特装車メーカーを指向していたものの、生産設備はまったくありませんでした。社史には、上モノの設計・試作は自社で行ない、生産は外部企業2社に委託したという記述があり、これまた鈴木流の手法そのままでしたが、奇しくも今日のファブレスメーカーのさきがけでもあったわけです。なお、当時の本社は名古屋(愛知くろがね販売の建屋をそのまま借りていた)でしたが、開発部門は東京にありました。

 最初の製品であるA型建柱車も、当然ながら同じKY型ベースのくろがね建柱車とよく似ています。ただ、判明している範囲でいえば、最大吊上重量はくろがね建柱車(1.8トン)とA型建柱車(1.2トン)で微妙に違うようですが、その理由はわかりません。

 ちなみに、社史に挙げられている生産委託先のうちの1社は、1961年のある資料で、自社製品として荷役用クレーン車を紹介しています。これは建柱用クレーンを荷役用に改良したものですが、くろがね建柱車とよく似ており、ベース車もKY型(8尺タイプ)でした。この会社がくろがね時代からの生産委託先だったとしても、違和感はないでしょう。

次ページは : その後

最新号

ナニワの海コンお姉さんが赤裸々に描く問題作!! 君知るや女子の気苦労

ナニワの海コンお姉さんが赤裸々に描く問題作!! 君知るや女子の気苦労

ナニワの海コンお姉さんを自称するゆでさん。今では 同じ海コン仲間の男性ドライバーと、時には丁々発止と渡り合い、時には和気あいあいと語り合う立派な海コンドライバーに……。そんなゆでさんにも人知れず嘆かざるを得ない女子の気苦労がありました。