武者の霊が集う古戦場で……
本州には古戦場みたいなところがたくさんありますから、その場所で何があったのかを伝えたがっている霊がいた場合、私の目の前には人々が殺し合う場面が広がります。
無念さを抱えて亡くなった霊たちが時を超え、私にして欲しいことを伝えてきます。故郷の家族に帰れないことを詫びたいとか、代わりに帰って家族を養ってくれだとか、無理難題を押し付けてきます。
驚くのは、何かを話している武者が私の目の前で首を飛ばされたりすることです。いわゆる横入りを通り越して、目の前にいる者を殺して私に話しかけるわけです。まぁ、戦場ですから、そんなこともありですが、予想外に皆さんほとんどの霊はお行儀が良く、ちゃんと順番を守り並んでいます。死んでも武士道は生きています。
本来、人は肉体を抜け出すと自由に何処へでも行けるはずですが、まだ戦っている義務感のようなものが現実を創造しているので、できるわけがないと思ってしまうと何もできず、自らをその場に縛り付けてしまうようです。お迎えのスタッフは何百年も根気強くそばにたくさんいますが、彼らにはその姿が見えません。あの世の悲しい現実です。
余談ですが、万が一武者の霊に会ってしまったら、礼儀正しい振る舞いをし、敵ではないことを伝えましょう。礼節を重んじる彼らは、静かにその場を去ります。
道を迷わせる酒好きの霊
25年ほど前、私は意を決して平ボディ車に乗り換えました。巨大な鉄骨材や材木を運ぶトラックに憧れたからです。案の定ハマりました。以来ずっと平車に乗り続けています。
そしてますます山奥へ入ることになりました。福島、山形、秋田、新潟などで原木を積み、都内の足立区にある材木問屋に配達する仕事が多かったと思います。
秋田、新潟と言えば美味しい日本酒のある町です。顔見知りになった切り出し現場の親方や、商社の代理人からお土産にお酒を貰うことがありましたが、仕事柄いつまでも飲まずにトラックのベッドの上に転がっていました。
ある日、時間に余裕のあった私は走ったことの無い山道を選んで東京へ向かいました。カーナビもスマホも無い時代です。案の定迷いました。次第に日は暮れ、山奥は深い霧に包まれました。
モクモクと湧く霧は生き物のようにトラックにまとわりつき、20km/hのノロノロ運転で、何度も何度も同じ神社の鳥居の前を通り過ぎ、4回目で変だと気づきました。
毎回一度しかカーブを曲がっていないのに、何度も同じ場所に来るわけがありません。ピンときた私は、ベッドの上にあった新政の一升瓶と紙コップを持ち、鳥居をくぐりました。まったく灯りの無い境内なのに、歩く場所だけ妙に明るくよく見えます。
お社に着いた私は瓶の蓋を開け、紙コップに酒を注ぎ、柏手を打ちました。
「ほうっ!」。何とも嬉しそうな、喜びに満ちた高い声が聞こえましたよ。その後は不思議なくらい霧が晴れ、探していた点滅信号と案内看板を数10メートル走っただけで発見しました。
酒好きの神様っているんですかね? 何となく違う気がします。稲荷神社でしたから、狐に化かされたのかもしれませんね。
ある怪談を編纂された本の中で、元マタギの老人はこんなことを語っていました。「道の幻覚を見せるのは狐。本物そっくりの音を立てるのが狸」だそうです。善いものなら山神の眷属(けんぞく)らしいのですが、どちらも旨い酒を持っている人間を帰さないそうです。
同じ体験をされる方が多いそうですよ。逆に霊の側から振る舞われる酒には注意が必要で、運が悪ければ帰って来られなくなるそうですから、気を付けましょうね。
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