「一台積み車両運搬車」というジャンルは、クラスや用途でその性格が大きく異なる。本項では「小型トラックベースの油圧式スライド荷台を持つ一台積み車載車」が辿ってきた、約50年の歴史について述べよう。
文/トラックマガジン「フルロード」編集部、写真/極東開発工業、新明和工業、花見台自動車、「フルロード」編集部
※2023年9月発売「フルロード」第50号より
日本の車載車の誕生
我が国におけるスライド車載車は、1972年(昭和47年)に花見台自動車が開発した荷台傾斜移動装置、すなわち「セフテーローダ」が嚆矢となっている。
それは当時、横浜で自動車の整備/鈑金塗装業を営んでいた同社の創業者・能條健二氏(現会長)が「顧客のクルマを1人で簡単/安全に積載/改装できる安価で耐久信頼性に優れた車両運搬車」を目指して開発したものだった。
同社は自動車学校から教習車の修理業務を請け負っていたが、クラッチ摩耗の修理依頼が多く、入庫時の回送に割く時間が増大していた、という背景があった。
セフテーローダは「1本の長尺油圧シリンダーと2種類のガイドレールで、トラックの荷台のスライドと傾斜を行なう」という独自のメカニズムにより、自動車を1人でトラックに積み降ろしできるものだった。このメカニズムは、のちに特許を取得することになる。
なお、トラックの荷台をスライド/傾斜させる発想自体は決して新しいものではなく、米国では50年代、すでに数件のスライド車載車の特許が存在していた。
だが初代セフテーローダのメカニズムは、それらと比べても大きく異なっており、独創的な考案だったことがわかる。
後発メーカーの動き
セフテーローダは本業の傍ら、同業者向けにも製造されたが、77年に新車ディーラーが大量購入したことで、納車/引取作業を1人で行なえる効率性が全国的に知られ、花見台は翌年から車載車生産へ専念する。
80年代は、このスライド車載車の広がりに対して、他メーカーでも参入の動きが現れるようになる。
まず、ジャッキ式の重機運搬車を製品化していた多田野鉄工所(現タダノ)は、83年にスライド車載車「スーパーセルフローダーSS-20型」を発売する。
これはスライドした荷台の後部が折れ曲がり、道板をかねるという独特のスタイルだった。
同じく83年にはユニック(現古河ユニック)が、自社販売網で花見台自動車製セフテーローダの取り扱いをはじめ、その2年後には「ユニックセフテーローダ」として同社佐倉工場でのライセンス生産を開始した。
87〜88年頃に、現在用いられている「ユニックキャリア」へ名称変更したようである。なお、ライセンス生産自体は90年秋に終了した。
コメント
コメントの使い方