主力製品となったコンクリートポンプ車の開発
生産体制の整備が進められるいっぽう、極東開発が一段の飛躍を図って期待を寄せていたのが独自開発製品となるコンクリートポンプ車とバラ積み輸送車だった。
海外との技術提携にも踏み切り、提携先からの技術データを基本に、独自の改善・改良が加えられ数多くの型式に発展していったこれらの車両は、極東開発の技術水準を向上させる上でも大きな役割を果した。
1950年代後半からのビル建設ブームでは土木現場の機械化が進められたが、コンクリート打設については日本ではまだ製品化されておらず、欧米でも車載式のものはほとんどなかった。
極東開発は技術提携を前提に数社と接触し、その中から米国のチャレンジクックブラザーズ(CCB)社に注目。1965年、輸入したCCB社のスクイーズ式コンクリートポンプを実機テストし、同社の技術を導入することを決定、直ちに交渉に入った。
スクイーズ式はポンピングチューブをローラーで押しつぶすことで生コンを絞り出す方式のこと。油圧シリンダで直接押し出すピストン式より軽量で、小型トラックにも架装することができる。
技術提携契約は合意に達したものの、外貨準備が乏しい当時は日本政府からの承認が必要であり、審査は厳しかった。当初の署名から1年以上が経過し、ようやく認可通知を受け取った。
CCB社の図面による極東製のスクイーズ式コンクリートポンプは1966年2月に完成しており、政府の認可が下りた同年6月に国産機の先駆けとしてPC‐80型「スクイーズクリート」を発売した。
CCB社では後継機がテスト段階にあり、これについてもPC‐100型「スーパースクイーズクリート」として技術提携、さらにピストン式の「キングクリート」についても技術提携を結んだ。
日本ではじめての形式となるPC‐80型は業界の注目を集めたが、いくつかの問題も生じた。現場で使用するコンクリートがスクイーズ方式に適合しておらず輸送パイプが詰まったり、ポンピングチューブが破裂するなどの不具合が発生したのである。
サービス担当員は大いに苦労した。不具合発生の報告があると直ちに現場に飛んで応急処置を施し、夕方に工場に搬入された車両を徹夜で修理し、朝に現場に持って行くという状態が毎日のように続いた。
こうした課題を克服したPC‐100型の開発が急ピッチで進められ、1967年5月に横浜工場で発表展示会を開いた。これは同社の新製品発表展示会の第1号となった。
またスクイーズ方式に適合したコンクリートも登場し、PC‐100型は発売直後に朝日新聞大阪本社の建設に採用され、16階の連続打設に成功した。
また、ゴムメーカーと共同で取り組んだ新型ポンピングチューブにより寿命が大幅に伸び、スクイーズ式コンクリートポンプ車は市場に定着した。
コンクリート打設の更なる省力化のため、極東開発ではブーム車も試作。当初、三段伸縮式ブーム構造を採用したが構造上の無理があったため、屈折式ブームの開発を進め、1973年にスーパースクイーズクリートと生コン圧送用の配管をセットにした三段屈折ブーム式の「PB10‐50」を発表。
起伏、旋回を自由にできる構造によりあらゆる打設現場に対応したことで、以降のコンクリートポンプ車は屈折ブーム式が主流となる。
いっぽう、高圧圧送が必要な大型土木工事用にピストン式のPK25型「キングクリート」を1971年に発売している。
これもCCB社の技術をベースに改良を加えてトラック搭載型としたもので、他社製と比較して圧送圧をアップしたことで高所・長距離の圧送が可能になった。
その後、スクイーズ式・ピストン式ともに、新たな駆動方式や新技術を導入し、東京都庁舎の建設で高度打設記録を樹立するなど、コンクリートポンプ車は極東開発の主力製品に成長した。

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