創業70周年を迎えた極東開発工業の足跡を辿る【日本の礎を築いた特装車アルバムを紐解く/前編】

いよいよ関東へ進出!! 大型ダンプを得意とする横浜工場竣工

 新たな工場用地の選定には、シャシーやボディの搬入・運搬が効率よく行なえ、社員の通勤の便がよく、かつ適正な価格であることが絶対条件とされた。

 この結果、相模鉄道と小田急電鉄が交差する大和駅近くで、八王子街道や厚木道路、藤沢街道が縦横に走る大和市深見西にターゲットを絞り、1962年3月1日にまずは第1期工事として組立工場(3760㎡)が竣工。同月17日には早くも架装第1号車としていすゞ6tダンプを出荷した。

 さらに同年7月には第2期工事として塗装工場(3473㎡)、12月には第3期工事として折曲工場(1438㎡)が竣工し、生産設備は一応の完成をみた。横浜工場は、生産効率を重視した工場建屋のレイアウトに腐心。工程の順に沿って作業が円滑に行えるよう、プレス・成型、材料倉庫、組立、塗装の各工場を平行に建て、完成車が検査場に送り込まれるまで一貫した流れで作業ができるように配置されていた。

 ただし、工場周辺の道路は舗装もされておらず雨が降れば泥沼と化した。シャシーメーカーからは「大和たんぼ」と酷評されるありさまで、しばらくの間、工場内でのシャシーの移動やボディの運搬には大変な苦労を強いられ、時には事務職員が車両の後押しをすることもあった。

 横浜工場の開設当初は川西モーターサービスからの受託生産だった。操業を開始した翌月の4月から、いすゞ、トヨタ、日産の大型6トンダンプの架装を毎月200~300台、8月からはこれに小型2トン量産ダンプ(KR-92)が加わり、毎月300~450台ペースで推移。設備の充実や人員の増強とともに生産活動は軌道に乗っていった。

トヨタとの強固な協力関係を地盤に拡大成長

1959年1月にはサービス業務を担当する部署が初めて組織的に発足。以降、販売台数の増加とともにサービス体制も順次強化されていった。写真は1962年にチームを組んで行なった全国巡回サービスの模様
1959年1月にはサービス業務を担当する部署が初めて組織的に発足。以降、販売台数の増加とともにサービス体制も順次強化されていった。写真は1962年にチームを組んで行なった全国巡回サービスの模様

 1955年頃の関東地区における特装車メーカーの大手といえば、金剛製作所(1987年に廃業)、犬塚製作所(現在は空港用車両に特化)、東邦特殊自動車(現在は新明和工業傘下の東邦車輛)、萱場工業(現カヤバ。コンクリートミキサー車に特化)があげられる。

 川西モーターサービスは1954年1月に関東地区に進出。順次受注を増やしてはいたものの、まだまだ後発会社と言わざるを得ない状況だった。設立された当時の極東開発は、その川西モーターサービスの販売手数料のみが売り上げであり、特装車業界でもまったくの無名であった。

 しかし、本社工場での機能部品の生産に続き、名古屋工場の開設により営業活動を本格化。立地上トヨタ自動車への活動が中心となったが、当初はBM型を主体とした5トンダンプの受注からスタート。「トヨタの特装車はすべて当社で受注生産する」という意気込みで、営業部門のみならず全社一丸となって活動に取り組んだ。以降、長期にわたりトヨタ自動車との強固な協力関係を築く下地となった。

 関西地区では新本社工場が完成し、ダイハツ小型ダンプの量産が軌道に乗るとともに、マツダ、みずしまの小型ダンプと民需ダンプのほか、石油/ミルク/廃液などを運ぶタンクローリ、バキュームカーといった主に小型特殊車の生産が増加。

 その実績を背景に営業活動は一段と活発化し、ダイハツ特装車の一手販売、阪神間の小型車ディーラーへの直接販売の道が開かれていった。

………後編に続く。

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