遠い夏の日の「タチアオイ」
決して今どきの流行りの花ではないが、タチアオイが咲き始めると「ああ、今年も夏が来たんだな」としみじみと思う、そんな花である。
どうして「しみじみ」なのだろうか? 同じ夏の花でも、これがヒマワリだったら「しみじみ」なんて思わない、ヒマワリの印象はというと、ただただ暑っ苦しいだけで、これほど「しみじみ」が似合わない花もない。では、朝顔はどうか? こちらも定番すぎて、「しみじみ」とはちょっとニュアンスが違うと思う。
タチアオイの「しみじみ」感は、遠い夏の日の思い出のようなもの、例えば田舎の家の縁側で、まくわ瓜かなんかを食べながら、ふと庭先を目をやると背の高いきれいな花が咲いている、でも、子供だから花の名前なんか知らないし、知ろうとも思わない……、今ふり返れば、それがタチアオイの花だったというような、そういった「しみじみ」感である。あるいは、その思い出は田舎のきれいなお姉さんの面影と重なるかもしれない、初恋とも呼べぬ子供心に芽生えたきれいな人への憧憬……、タチアオイの花は決して「今」ではない、なぜか遠い夏の日の思い出と共に咲いている花である。
ところでアオイ=葵というと、徳川家の紋所である「三葉葵」を思い浮かべる人も多いと思うが、三葉葵は、フタバアオイを図案化した架空の植物の紋と言われており、さらにフタバアオイはアオイ科ではなくウマノスズクサ科の植物だから、アオイ科のタチアオイとは全く関係ない植物である。
アオイ科には、他にハイビスカス、ムクゲ、フヨウ、それにオクラやワタ、ケナフなどがある。ちなみに以前、オクラを鉢で栽培したことがあるのだが、ムクゲやハイビスカスの花に似たクリームイエローのきれいな花が咲いたのでびっくりしたことがある。余談だがオクラは花も楽しめる野菜なので、家庭菜園にお勧めである。このオクラの花をはじめ、アオイ科の植物は、総じて花の感じが皆よく似ており、タチアオイも例外ではない。
「立ち葵」の名前が示す通り、茎がすくっと伸びた立ち姿が見事で、2~3mもの高さになる。長く伸びた花茎に沿って薄く柔らかいフリルのような花弁の花をたくさんつけ、花は一重咲きに八重咲き、赤、白、薄黄色、ピンク、紫などの花色があり、花の直径は10センチほどになる。品種によっては一年草もあるそうだが、多くは宿根である。うちの近くにも毎年花を咲かせる場所が何カ所かあり、そこを通りかかるたびに「ああ、今年も…」という冒頭のセリフになるのである。
タチアオイは平安の昔から親しまれていた花であるから、こじゃれた流行りの花が似合う都会よりも、やはり田舎に咲いていて欲しい花だ。ある夏の日、ふと何処か遠くへ行きたいと思う、そんな時、名も知らぬ地方の無人駅に咲いているタチアオイの姿ほど、夏の旅情をかき立てるものはない。「そうだ 京都 行こう」が紅葉の名刹なら、夏の旅情は無人駅のタチアオイに任せてもいいくらいである。ついでに言えば、「そうだ 京都 行こう」がコルトレーンの「マイ・フェバリット・シングス」なら、こちらはビル・エヴァンスの弾く「ダニーボーイ」がいい。今年の夏は、遠い思い出を追憶するような、そんな寡黙な旅がしてみたい、美しい面影をタチアオイの花に重ねて……。といったところで楽しい妄想の時間は終わりですね、現実に戻って、ささ、お仕事お仕事! (キャップ)