追想記(消えた道 其の九)
「あの頃は、主人との生活が辛くなっていて、次第に我慢できない状態になっていたの。それで、唯一の心の拠りどころを、あなたに求めていたのね。あのキャンプでのあなたの言葉や私に対する行動が、ああなただけをその後も見つめる結果になっていた。キャンプ中の私の気持ちはあなただけに向いていたのは間違いないのよ。でも、帰ってからは思い出ばかりに浸っていて、本当にあなたを求めていたのかどうかは、私自身よく解らなかった。あなたのいる九州はあまりにも遠すぎたのよ。それに、あなたから電話が一度もなかったし……」
そこで一息つき、私の様子を窺うような目つきになった。確かにお互い会社の電話番号を教え合っていた。が、私は一度もしなかった。キャンプで終わったつもりでいたからだ。
なおも様子を観る視線を投げかけている。オレの返事を待っているようだ。言い繕いは、この人を傷つけるだけのような気がした。
「オレ、実はキャンプで終わった気持ちになっていたんです。もし、あの夜、リーダーの注意がなかったら、いえ、昼間だって行事の合間に時間はあったんですよね。その決心ができていれば、その後は変わったかもしれません。たとえキスだけでも交わりがあれば……」
その人は、小刻みに相槌を打ちながら聞いていた。私が一息ついたのを見て、口を開いた。
「そうなのよね。たとえキスだけでもしていればって、わたしだって考えてたのよ。わたしにとって、あのキャンプでの大胆な行動は初めてだったので、胸がドキドキしてたのよ。だから、あなたが肩を抱いてくれた時は嬉しかったなぁ。それに、自分に何となく自信めいたものがついたしね。でもね、あなたは、きっと若すぎたのね」
最後は微笑みながら言った。
「そうですね。友人から『人妻だから』と、忠告を受けていたんです。それに、最後の夜だと考えて思いきりましたけど、それまでは誘う勇気さえなかったんです」
「でも」と、私の言葉を遮った。
「わたしに対する気遣いは、本物だったんでしょ?」
「ええ、あなたに気に入られたいと思ってましたし、話を聞くうちに同情もしていました。オレだったら、こんな人を不幸にはしないのにって気持ちになっていたんです」
満足気に話を聞いていたその人は、打ち解けた様子で話し始めた。
「出雲崎に行った最初は、あなたと一緒に行きたいという気持ちだったのは間違いないのよ。でも、二回目は、もう冬だったけど、あなたのことはキャンプでのことだと諦めがついていたの。だから、『あなたのような人』という表現になったのは理解してね。
でもね、あのキャンプで知り合ったあなたが、わたしに自信を植え付けてくれ、離婚を決意させ、今のわたしがあるの。たとえ、あなたとどうのということがなくても、きっとあなたのような優しい人がいるって信じられただけでも、あなたの存在は大きかったのよ。だから、とっても感謝しているの」
熱っぽく語るその人の顔は、輝いていた。
「いえ、あのキャンプで偶然知り合っただけでしかないし、オレのような男はたくさんいますよ。そこまで感謝されると、こっちが面はゆいです」
すぐに言葉が返ってきた。
「違うの。さっき気遣いのことを話したよね。何だかわたしの方から誘導するような話し方になったけど、あの時のあなたの気持ちが知りたかったからなのよ。でも、あの時、わたしをあなたは求めてくれていたのは、体だけじゃなく、わたしに同情してくれて、自分だったらって気持ちになってくれてたのは、やっぱり本当の気遣いだった。それが、知りたかったの」
しかし、だからと言って、今さら何なんだろう? その人の真意が判らなかった。
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