追想記(消えた道 其の五)
妙に力の入った「忘れないわよ」の一言が強く響き、キャンプの後、自分のことをどれほど覚えていてくれたのか、考えていてくれたのか、それを知りたくなった。
「あのキャンプの後、あなたのことを思い出していました。手を繋いだり肩まで組んで歩いたのをね。あの感触がしばらく消えませんでした。それに、あなたの前のご主人のことでも心配していました。だから、出雲崎の件もそうだけど、汗かきのオレのことを覚えていてくれて、嬉しいです」
歩きながら聞いていたその人は、立ち止まって私の方に向き直り、言い聞かせるように言葉を出した。
「その話は後でゆっくりしたいから、タオルを買った後、どこかでゆっくり話しましょ。ね」
「そうですね」
うなづくしかなかった。が、心の中ではどんな話が出てくるのか、そればかり気になっていた。
私の方も、その人に何かをプレゼントと思ったが、体よく断られた。それもそのはずだった。自分の近況を話した時、事業に失敗して経済的に苦しいことまで話していたからだ。
買い物をしていて気がついたのだが、そこはスーパーだった。買い物を終え、車をそのままにして近くの喫茶店を探した。通常は、スーパーだけで済ませていたのか、その人もこの近くのことは詳しくないようだった。スーパーの近辺は、案外いろんな店があった。当時は、大規模小売店法の規制があった頃だ。近くの小売店との共存ができていた。
喫茶店もすぐに見つかった。
その人は、右側がカウンターで左側がテーブル席になっている店の奥のテーブルを自ら選び、入口に背を向けるように座った。
店員が持ってきたオシボリをいち早く手に取って、黙って私に差し出した。その所作は手慣れた感じで、いつもしていることのように思えた。そう言えば、キャンプの時も何かと身の回りに気を遣ってくれていたのを思い出した。
「あの頃と同じですね」
思わずつぶやくように言葉が出た。
「あら、何が」
跳ね返るように帰ってきた言葉には、期待感が籠っているように思えた。
「あなたの気遣いですよ。さりげなく出したオシボリで、ハッキリと思い出しました。キャンプの間中、何かと気を遣ってくれていましたよね」
その人の表情が急に輝き、笑みをたたえながら咳き込むように訊ねてきた。
「ねえ、その他にどんなこと覚えてる?」
それからは、1日遅れで登山してきた時の印象、その後の自己紹介で、目が合った時、頭がクラっとしたこと、同じグループに入ってくれて嬉しかったこと等を話した。そして、話している間に次々に思い出したことを話した。その間、その人は黙って聞いているかと思えば、あの時はこうだった、そうだったと、楽しそうに記憶の曖昧な私の補足をしてくれた。
私の思い出話が終った時は、その人の顔には満足感が漂っていた。
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