元ベテラン運転手 トラさんの「泣いてたまるか」No.107

元ベテラン運転手 トラさんの「泣いてたまるか」No.107
追想記(消えた道 其の三)
 
トラステの玄関を出るまでの間、このまま「ハイ! さようなら」で、終わるのではないかと焦燥感にみまわれた。だが、妙案は浮かばなかった。この黒埼のトラステの周囲は殺風景この上ない場所で、散歩するところさえなかった。誘う糸口さえ見つからないまま外に出ると、八月の暑い日差しが照り付けている。
その熱い光線が、その人の真っ白な肌を焦がすのではないかと、焦燥感の中で、その一点だけがフッと気になった。「このまま別れるのは惜しい気がしているんです。でも、「外を歩くと、あなたが日焼けしてしまいそうで……」
私の言葉を遮るように、その人の口から俳句が飛び出した。
「荒海や 佐渡に横たう 天の川 覚えてる?」
突然のことで、返す言葉に窮した。俳句は知っているが、どんな意味で「覚えてる?」っと、聞いてきたのか。
「俳句は知っていますけど、覚えてるかと言われると……」
その人は、口元を緩めて睨むような真似をし、おどけた口調で言った。
「ま、あなたが私に教えてくれたのよ。芭蕉が出雲崎で詠んだ句だって。それに、出雲崎が良寛和尚の生誕の地だってこともね」
「あ、キャンプでの話だったんですね。覚えていますよ」
実は、覚えていなかったが、その人との接点はキャンプだけなので、そう答えると間違いない。
「じゃあ、私と一緒に出雲崎に行きたいって、言ったことも覚えてる?」
暑い日差しに焼かれた駐車場のアスファルトの照り返しがあるにも拘らず、背中からは冷や汗が出そうだった。
「ええ、あの時、そう思いました」
出来るだけの笑顔で、心の中を覗かれないようにして答えた。当時は、その人の肌の白さと、おしとやかさを感じさせる美貌に、男の本能が勝り、気を引くために言わせた文句だったに違いない。
その人は、真顔になり話し始めた。
「もし、あなたと再会できることがあったら、出雲崎を案内しようと、良寛記念館や良寛堂に、二度一人で下見に行ったのよ。でも、あの年に立て続けに行ったから、私も十年ぶりになるのかな。どう、行ってみない?」
私は心の中で、唖然としていた。あの時、私は刹那的な男女関係を求めていただけに過ぎない。その人もてっきりそうだと思っていた。
改めて、その人の目に視線をやった。微笑み、邪気のない眼が映った時、咄嗟に防御本能が芽生えた。(人妻だから) 後々、面倒なことになりはしないか……。そして、同時にトラック運転手としての計算が頭に浮かんだ。
「子供さんやご主人がいるんだから、遅くはなれないでしょう?」
「そうね。四時くらいには戻らないとね」
「時間的に無理ですね。往復で二時間以上は見ないといけないし、もう、一時前ですからね」
考えるようなそぶりをした後、諦め口調になった。
「そうね。私の家は三条だから、ここから家までの時間も考えないとね」
困ったような顔が、四十路が近いはずなのに、やけに美しく見えた。
「今回は仕方ないですよ」
私の言葉に反応したようにすぐに返事が来た。
「わたしもこのままじゃ心苦しいし、車に乗ってくれない?」
彼女の意図は計りかねたが、逆らえない雰囲気を感じた。
「ええ、お願いします」
その人の乗用車は、私と同じ列に停まっていた。私はトラステの入り口近い、入ってすぐ右側のフェンス沿いに停めた。その一番奥にその乗用車は停まっていた。他のトラックの陰で入ってきた時は気が付かなかったが、道理でと、私がトラックから降りた時、その人がいた位置関係が理解できた。
乗用車に向かって並んで歩き出した時、レストランに向かう時の微妙な距離感に気が付いた。先ほど、腕を組んだり肩に手を回す雰囲気ではなかったのは、その人が取っていた私のと距離だった。
キャンプの時は、私にぴたっと寄り添い、腕をくっつけていた。なので、自然に手を握り、腕を組むことができた。肩を抱いた時は、その人が首を私に預けるように幾分肩に寄り掛かるようにしていた。そして、それはその人の演出、つまり、リードだったことに、今頃になって気がついた。
 私は行き先が気になり、聞いてみた。
「どこに行くんですか」
すぐに屈託のない、明るい返事が返ってきた。
「あなたにプレゼントよ」
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