追想記(消えた道 其の一)
その女性と目が合ったのは、トラックのキャビンから降りた直後だった。ドアをバタンと音をさせて閉じた時、歩いていたその女性が、こちらに視線を向けた時だ。そして、お互いの視線が釘付けになった。
驚愕のその表情は、私を認識していることをハッキリ示していた。
その人と知り合い、手を繋ぎ、腕を組み、肩を抱きあいながら歩いたのは、その時から10年くらい前のキャンプ地でのことだ。キャンプで知り合った当時、私はまだ、23~24歳の女心の読めないガキだった。
その人は、我々がキャンプを始めた翌日の登山中に遅れてやってきた。下山するのを待てばいいものを、その人はわざわざ登山先まで追いかけてきた。
その姿を、今でも鮮明に覚えている。頂上にいる私たちのところへ、急な登山道を両手両足で這いつくばるようにして、少し太めのその人は、真っ白な肌に玉のような汗を流しながら、大きな息遣いをさせて登ってきた。そして、笑顔を見せながら、ハッキリした口調で自己紹介した。
「新潟から来た○○です。よろしくお願いします」
その自己紹介にすぐに反応したのは、同僚だった。
「え、あなたが新潟の○○さんですか。九州の△△です」
二人は、電話でのやり取りや頻繁にあったようだ。雰囲気だけは、旧来の友の雰囲気が出ていた。
「ええ、あなたが△△さん。それで、ここにいる皆さん、九州の方ですか」
その問いに、先ほどの同僚が今度は砕けた口調で答え、説明してた。その後、自己紹介することになった。
そして、私の順番がきた時、その人と初めて目が合った。色白だけでなく、一重瞼の日本的美人、歳は7~8歳上だろうか……。その人から見つめられた私は、一瞬クラっとして、目が見えなくなった。が、すぐに気を取り直して自己紹介だけは終えた。
その直後から、その人は、私の横に寄り添うようにして行動してくれた。気持ちが踊った。だが、電話での知り合いの彼が、私の耳元で囁いた「あの人は、人妻だから……」。
遅れてやってきたその人のグループは決まっていなかった。下山後、本人が強く希望して、私と同じグループになった。全国から集まって百数十人はいたキャンプなので、グループ分けは地域とは関係なかった。
その中部地方でのキャンプの目的はリーダーシップの研修だったのだが、実際にはレクリエーションの色彩が濃く、昼も夜も遊び満載だった。参加者は、浮かれ調子で昼間催される競技、そして、夜のキャンプファイヤーを囲んでの楽しみに夢中になっていた。私も、ノリノリの気分で解放感いっぱいだった。
いつも傍らにいるその人と、いつしか手を繋ぎ、肩を寄せ合い歩くようになっていた。歩きながら、その人から家庭の内情を聞かされた。そんな話を聞くうちに、何となく同情心が芽生えてきていた。
そのキャンプが、三泊四日だったのか、四泊五日だったのかは覚えていない。最後の夜、思い切って消灯時間の後、会う約束をした。その人は、私よりも先に来ていた。だが、座り込んだ途端、見回りのリーダーから厳重な注意を受け、すごすごとテントへ戻った。
最後の日は、未練がましさと気まずい思いが交差し、そんなに多くの会話にはならなかった。また、一方では「人妻だから」その言葉の重みが感情の高ぶりを抑えていた。
今のように、携帯がある時代ではない。もし、携帯があったなら、キャンプ後の展開が違っていたと思う。
十年後のその人は、当時のふっくらした印象がなくなり、スマートになっていた。が、間違いなくキャンプでのあの人だった。驚きの表情のその人の見つめる眼差しには、私への拒絶感はなかった。
それどころか、私の笑顔に、その人も笑顔で返してくれた。と、同時に、違和感なく、ごく自然にあの頃と同じように、その人に近づいていた。
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