運転手デビューの頃を覚えていますか? 「海コンお姉さん」の初々しかったあの頃のエピソード

先輩運転手の言葉に、ゆで感激!

運転手デビューの頃を覚えていますか? 「海コンお姉さん」の初々しかったあの頃のエピソード
今では海コンドライバーとしてもベテランになりました

 「俺ら運転手は身体が資本や! しんどい時は助け合ったらええやないか」「アンタも俺が休んでる間、このコース走ってくれてたんやろ? お互いさんや」と言ってくれた。

 その言葉が嬉しくてね。優しい言葉をかけてくれたのも嬉しかったんですが、「俺ら……」と言って、その言葉に「私も仲間に入ってる」ってことが何よりも嬉しくてね。何度も何度も心の中で「俺ら運転手は……」って言葉の意味を確認していました。

 大阪から福井現着まで寝かせて頂いたのと、その言葉のおかげで胃痙攣の痛みもいつのまにかどこかに飛んでいってしまい、その後はいつもよりうんと頑張ってる自分がいました。

 福井で荷降ろしを完了した後、富山県滑川で積み込みをし、途中でオムライスなんかを食べて大阪まで軽やかに戻ってこられました。もちろん福井からは先輩に運転してもらうことはありません。大阪に無事に戻り、先輩に「福井まで運転代わって頂いてありがとうございました」と頭を下げて帰りました。

 次の日、私は京都の現場降ろしで、先輩はまた北陸向けの便に同乗することになっていたので、ツーマンはその日一日で終了しました。

 後日、無事に復帰された先輩と、とある配達先で一緒になった時「自分あの時すごいイビキやったなぁ」と、思い出したように笑われました。「あんだけ痛がっていたのに、すぐ寝れるってどないやねん」とまた笑われました。しかも地声が大きな先輩のおかげで、近くにいた他社のドライバーにも聞こえたようです。

 その声がもう少し小さかったら、私はいつまでも「優しい先輩」と敬意を表していたでしょう。

オムライスの姉ちゃんって、なんやねんソレ

 ま、それがきっかけで、近くにいた他社のドライバーさんとも話をするようになったんで、ありがたいといえばありがいんですが、なぜか他社のドライバーさんに「オムライスの姉ちゃん」と呼ばれることになりました。なんでそう呼ばれるようになったのかは今も謎のまま。

 以前にも少し書いたと思うのですが、当時の運送業界はパワハラとセクハラが横行する環境でした。「男性ドライバーを見たら敵と思え!」ってな感じでして、ずいぶんと生意気&無愛想な自分だったように思います。

 いろんなことで悔しくて泣くこともありましたが、続けてこられたのは、トラックが好きでたまらないって気持ちと、わずかながらいた理解者のおかげなんだと、これを書きながら感謝の気持ちがフツフツと込み上げてきます。

 パワハラ大王だった人たちの言動も「お前らに負けてたまるかい!」と、逆に原動力になっていたのかもしれません。なので、少し根に持ちながら感謝しておきます。名前は思い出せないんですが、当時元気を頂いた人達の顏は今でも覚えています。元気でいるかなぁ?

 そう言えば、先ほどの一度だけ福井までツーマンした先輩の顏だけは思い出せません。記憶にあるのは坊主頭に巻かれた包帯だけです。なんの病気で入院していたんだろ(汗)。もしかしたら大きな病気だったんじゃなかったかな~。

 パワハラ大王の顔は思い出せても、お世話になった先輩の顔を思い出せないなんて、申し訳ないですね。恩はすぐに忘れるけど、嫌なことは根に持つタイプなのかな……。ふふっ、それもいいやん、覚悟しときや。

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