トラックドライバーの誇り その29
このブログを書くのに、自分の体験を思い出しながら書いている関係で、その時、思い出せなかったことが度々ある。本題に戻る前にその事について触れたい。
その中のひとつが、「その28」で、私の個人ブログの方に指摘のあった「どこをどう運転してきたのかわからない」ということがある。これを指摘してくれたのは、私がブログを開設した時以来の友人である。まだ、一度もお会いしたことはないが、電話では度々話をしている。
確かにその話は私もドライバー仲間からよく聞かされた話だし、私自身も国道150号線で一度だけある。
当時、浜松から静岡の間は有料のバイパスが数か所あり、それを避けるために御前崎経由のR150を走っていた。距離的には遠いが、時間はそんなに変わらなかったし、スイスイ走れるのが良かったからだ。焼津市内に入る手前くらいから、焼津インターまでの間の記憶が全くないのに気が付いたのは、インターを過ぎ日本坂トンネルの手前だった。
これはもう、朦朧運転がかなり進んだ状態だし、記憶がないというところに表われている。どこをどう走ってきた記憶が飛んでいることは、日中の運転でも、いや歩いている時も、考えことをしている時などはよくあることだ。だが、その時は、考えごとをしていたということは認識している。考えごとに熱中していたけど、自分がいつも走っている道だから帰れた。または歩いて帰れた。その経験は案外多くの方にあるだろう。
だが、深夜ドライバーの場合は、明らかに考えことではなく、意識が、つまり記憶がないのである。私もその経験ではっきりと言える。
これは、錯覚でも幻覚でもない、無感覚の状態なのだ。
事故を起こしたドライバーが、考えごとをしていてボーっとしていた。その話はマスコミ関係からもよく聞こえてくることだ。もちろん、トラック乗用車に限ったことではなく、日中の運転でもあることなのは、皆さんご存知のことだと思う。それが、深夜のトラックドライバーが、それがかなり進んだ状態で走っているのである。何故なら、「考えごとをしていて、ボーっとしていた」この記憶すらないのだから……。
また、彼が経験談として、パーキングに入ってサイドを引き、シートを倒し寝たところ、後ろからクラクションを鳴らされた経験を書いてきた。彼は夢だと言っているが、実際にはないパーキングを想像して本線上に留めたことが、幻覚なのか夢なのか? 私は夢ではそのような行動は起こせないと考える。が、オシッコをしたいのを我慢している時に、放尿した。が、実は布団の中だった。これは、オシッコをしたいという希求が起こした、明らかな夢だと思う。幻覚と夢の判断は難しい。
眠ってはいけないと、しっかりその意識を持ち眠気を我慢している半眠状態の比較的軽いものから、錯覚、幻覚、無感覚まで、幅の広い朦朧運転は、長距離ドライバーが日常的に多く経験していることがお解りいただけたら幸いだと思う。「運転に集中して、事故を起こさないように」なんて、運行管理者から言われるが、そんな絵空事の理想の世界ではないのだ。
もちろん、近距離の運転でも、その例は数多くある。過労運転や自己管理の不徹底が原因だ。
次は、本題に戻りたい。
トラさんのブログ「長距離運転手の叫びと嘆き」
http://www.geocities.jp/boketora_1119/
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