追想記(消えた道 其の十四)
動き出した車はノロノロとしていて、いくら駐車場内とはいえ、その速度は異常に遅く感じた。出口でブレーキランプが点いた時、鋭く光るのではなく、モワーッとした感じに思え、それは「おいでおいで」をしているかのように思えた。そして、それは私の思い込みではない証拠に、そのまましばらくその状態で車は停まっていた。
その様子に「このままじゃいけない!」、そんな考えが閃き、キャビンから飛び降り、車のルームミラーに向かって手招きした。案の定、バックランプが点いた。私は彼女の車を自分のトラックの左横に誘導した。そして、彼女をトラックのキャビンに誘った。
今までの一連の会話は、全て彼女主導で進められてきた。今度は自分の意見を出すことだと考えたからだ。その場として自分のテリトリーのトラックのキャビンの中はもってこいの場所だ。
が、キャビンのカーテンを引いた後、続きの話題に入ったのは彼女の方だった。
「まさか、名前を憶えていてくれたなんて思っていなかったのよ」
その言葉に対し、私は冷淡な言い方をした。
「玲子さんは、当時のオレの気持ちが本物だったかどうかを知りたかったんでしょう? だったら、今、名前を憶えているかどうかは関係ないはずですよ。今の気持ちを知りたいんだったら別ですが」
すぐに反論があった。
「だって、気持ちが本物だったら名前を忘れるはずがないと思わない? 強烈な印象があればあるほど、覚えているものよ」
確かに一理はある。が、思い出は、その濃淡だけでなく、その後の生活と精神状態に由来するものが多い。
「確かに、一面はそうだと思います。でも、その後、玲子さんが本当に幸せだったら、オレとの思い出をそんなに覚えているものでしょうか。確かに、あのキャンプの時、お互いを気遣いあったのは事実です。でも、愛情を確かめ合ったと言うわけではないんです。恋愛感情が燃え上がったというわけではなく、その前に消されてしまった。言い換えれば、慕情だけで終わってしまったんです」
彼女が、遠い目つきのまま「そうよね」と、ポツリと相槌を打つのを見て、私は勢いづいた。それは、彼女が名前を呼ばれた時の反応に、それまでの彼女の言動が分かった気がしていたからだ。
「前のご主人だって、全てが悪い面だけではなかったはずですし、今のご主人だって100点満点かと言えば違うと思います。今のあなたが、私との思い出にしがみついている……、いえ、すみません。そんな感じに受け取れたんです。オレがあなたの人生の転機になったのは、ある意味光栄なことです。でも、お互いに10年前とは違い、それぞれが違った様々な経験を踏んでいるんです」
突然、彼女が言い放った。
「もういい! もういいから止めて!」
絞り出すよな声に、彼女の心の琴線に触れたのを知らされた。つい、調子に乗ってしまったようだ。だが、懐かしい思い出に陰りを残したくない思いがしていて、そのことを話しかけようとしたが、口を先に開いたのは彼女の方だった。
「ごめんね。急に取り乱して……。もしね、喫茶店にいる時に名前を呼ばれていたら、違う場所にいたかもしれないね。価値観の違いかもしれないけど、私にとって覚えていてもらえるということは大事なことだったの。それで、名前を呼ばれた途端、どうかなってたわ。ごめんね」
その言葉を聞いた途端、私の方が何もかもどうでも良くなってしまった。当時の古いトラックは、座席が三つあり真ん中の席が補助席になっていて移動しやすかった。
「玲子さん、私もそっちの席に移ります」
「えっ」と言う顔をしたが無視して、返事を待たずにさっさと移動して、彼女を有無を言わせず立たせ、代わりにそこに腰かけ、膝の上に彼女を座らせた。
そして、大事なこととして、囁きかけた。
「これは、思い出の終焉の儀式ですよ。けっして始まりにしてはいけないんです」
彼女は、真面目な顔をしてうなづいた。
●トラさんの「長距離運転手の叫びと嘆き」のURL
http://www.geocities.jp/boketora_1119/
●トラさんのアメーバのブログのURL
http://ameblo.jp/tora-2741/
コメント
コメントの使い方