羽村工場の足跡

ここからは、自動車生産拠点としての足跡を辿ってみよう。
羽村工場は1963年、『トラック・バスの日野』が独自に開発した乗用車「コンテッサ」やボンネット小型トラック「ブリスカ」の組立工場として新設したもので、トラック用部品の機械加工工場も併設する(操業開始は後者が早い)。
当時日本の自動車の中心市場は、トラック・バスなどの商用車や小型三輪商用車から、次第に乗用車や小型四輪商用車へと移りつつあり、日野本社工場での乗用車生産も増加していたため、小型車専用工場を設置したのだった。
しかし生産が増えたとはいえ、他の乗用車メーカーと比べれば少なく、大型商用車がメインの日野の小型車シェアは低迷した。3年後の1966年、日野はトヨタと業務提携し、67年からトヨタの乗用車派生バン「パブリカ・バン」、2代目ブリスカをトヨタと共同でリニューアルした「トヨタ・ブリスカ」の生産を開始することになる。いっぽう同じ67年をもって、日野オリジナル小型車の生産は終焉を迎えた。
そして1968年、トヨタの新型ピックアップトラック「ハイラックス」の生産を開始して以降、羽村工場は飛躍的に発展し、日野の経営面でも強固な柱のひとつとなっていく。
この初代から歴代のハイラックスは、トヨタが企画を担当し、日野が開発と生産を受託するモデルとなっている。その信頼性と耐久性の高さは、全世界で広く評価されてきた。また、90年代の『RVブーム』では、三菱パジェロとともに、ハイラックス派生SUVである「ハイラックスサーフ」がブームを代表するモデルとして挙げられるほどの人気を得た。
実は羽村工場では、ハイラックスと並行して乗用車である「パブリカ」、その次に「カリーナ」、さらにその次には「ターセル/コルサ」の受託生産も行なわれていた。それだけに留まらず、「ターセル/コルサ/カローラII」の三つ子モデル時代には、受託生産に加えて部分的ながら開発業務も担当していた。
このように羽村工場は、「大型商用車メーカーが運営する、トヨタ小型車の受託生産工場」という収益的にも重要かつトヨタグループの一員としての役割を果たしてきたわけである。
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