元ベテラン運転手 トラさんの「泣いてたまるか」No.132

元ベテラン運転手 トラさんの「泣いてたまるか」No.132
長距離ドライバーの健康問題(其の十)
 
帰り荷物で、多少の取引先の変動はあったものの、このような仕事と生活が7~8年は続いたと思う。その間、体重は67~68kg推移していた。
そして、この時乗っていた4tトラックに要修理が出始め、寿命を迎える時期に差し掛かっていたので、九州に帰ることにした。が、実は、家内はその二、三年前に九州に帰していて、その間、私ひとりで三重県の名張市で頑張っていた。つまり、その時乗っていたトラックがダメになったら、九州に帰るつもりでいたのである。
 
もちろん、九州に帰ってからの仕事の準備は進めていた。その会社は、子供の頃からの知り合いで、家族同士の付き合いもあるところだった。当然、それだけでは4tトラック一台を任せてくれるとは思えず、家内を九州に帰した頃から、九州からの帰り荷物をこの会社に依頼することを忘れなかった。
この会社は、水屋のようなことはしていなかったが、私の頼みというので帰りの荷物を探してくれた。それは、私自身の仕事ぶりを見てもらうためには、当然やらなければならないことだった。
帰る決心をして、トラック一台を任せてもらう話になった時は、当然ながら、自分の売り上げの実績と、取引関係を全部提出した。それで、すぐにオーケーが出た。
 
そして、その時買ったトラックは、それまで平ボディだったのをウイング車にしてもらった。それは、名張市からの荷物がフィルムで温度に敏感なため、平ボディでは限界があったからだ。しかし、庫内に冷房は取り付けなかった。後から考えると、それが失敗だった。
そのウイング車も、東レが作っていたカーボンのボディにしてもらった。車体が軽く、ウイングにも発泡スチロールが入っていて、温度にも強かったからだ。しかし、現在ではウイング車用には作っておらず、もっぱら保冷車に適用しているようだ。
 
そして、仕事の内容はしばらくの間、名張市の仕事をメーンにして頑張っていたのだが、居を九州に構え、仕事は三重県の名張市というのでは、不都合が生じてくるのは致し方なかった。
それで、北九州市の門司区にある太刀浦で新しい取引先を確保して、そこをメーンにした。次第に名張市の仕事が疎かになっていったのは事の成り行きで仕方がない。フィルムつまりラベルの仕事で、保冷車の会社が出入りするようになると、私の立場も微妙になってきた。その時クーラーを付ければ良かったのだが、太刀浦からの仕事が衣類を目一杯積む仕事だったので、躊躇したのだ。
やむなく、私は名張市の仕事を断り、完全に九州の太刀浦の通関業者の仕事を優先した。帰り荷物に関しては、古い運転手仲間が配車係をしている会社に依頼していたので、そこを継続した。
彼は、私に対してはかなりの運賃を支払ってくれていたからだ。
 
しかし、私の健康問題に関しては、それからが問題を大きくした。その太刀浦の会社の仕事は翌日着の関東が多く、今までよりもかなりハードな仕事だったからだ。
 
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