長距離ドライバーの健康問題(其の八)
九州からの帰り便は多くの場合関西だったが、その守備範囲は広く、滋賀県、和歌山県、三重県、愛知県、岐阜県とまたがっていた。根城にしていた積み込みが三重県の伊賀盆地なので、当然、それくらいの守備範囲は必然だった。
そして、週2回目の積み込み先が伊賀上野だった。そこで、修正柱を積み込んで、関東方面に走っていた。が、この荷物は計算上は過積載ではないにも拘らず、その個体差でのバラつきが酷く、過積載と感じることもしばしばだった。積み込んだ後は、前日風呂に入ってないこともあり、一旦は名張市の自宅へ帰り、風呂と食事をしていた。そこでまた、くつろいだ気分になってしまい、食事の後、また……。と、太ることばかりしていた。
もちろん、そんな余裕がない時はそのまま出発ということもあった。その時も、伊賀上野SAで食事となるわけで、そこのスタミナ定食が美味しくて、そこに行くと定番のように食べていた。そして、やはりそこでも……。自覚が足りないと言うか何と言うか、太ることばかりしていた。
荷降ろしは千葉県が一番多かったように記憶している。が、1カ所ではなく、大概の場合、複数個所だった。ただし、今のようにパソコンを持っていたわけではないので、正確な記録がないのが残念だ。そのようなわけで、降ろし終わるのがお昼近くになり、それからの移動だった。当時の関東方面の帰り荷の得意先が埼玉県の岡部町あり、積み込みもその近辺だった。当然、移動時間がかかり、日中の仮眠はほとんどない状態だった。
積み込んだ後は国道254号線を通り、白樺湖経由で帰っていた。そこまで着く前に、群馬県と長野県境にある内山峠を越えた所にある、鯉料理の店に寄って食事をしていた。この店では、特に鯉こくが美味しかった。もちろんそれだけでなく、鯉の洗い、鯉の旨煮なども一緒についている定食を頼んでいた。そして、この店は前の会社からの付き合いで、内山峠の群馬県側が開通する前からで、亡くなった親父さんがその開通を待ちわびていたのだが、開通直前に亡くなってしまった。開通と言っても、4トン車は通れていたのだが、その道は狭く、乗用車同士でも離合場所でなければ離合できない道だった。私は、その当時からの国道254号愛好者だった。
しかし、ここでは食事の後眠るというわけにはいかなかった。それというのも、駐車場がなく、店の前にある少し広くなった場所に停めていたために、すぐに出発する羽目になっていたのである。ただし、店の休みの時もあるわけで、その時は、その下側にある中華料理店で食べていた。時には、その上側の、野沢菜専門店がソバを食べさせてくれていたので、そこでも食事をしていた。この店の野沢菜が美味しく、また、ソバもとても美味しかった。そこで飲んだ「そばつゆ」の味が今でも忘れられない。
かくして、この道を通ると、仮眠は白樺湖になってしまう。それというのも、それ以上頑張って走り、国道19号線に入ってしまうと、仮眠で寝過ごした場合、中津川まで走らなければインターがないからだ。それでも、白樺湖に着くのは、食事をして2時間弱であり、満足な間隔があったわけではない。当時の運行形態は、大まかにそのようなもので、自分から進んでメタボになりにいったようなものだった。
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