長距離ドライバーの健康問題(其の三)
だからといって、規則正しい食事をとっていたかというと、そんなことはない。積み込みで遅くなるのは現在と変わらなかった。まして、コンビニが少なかった時代で、トラック相手の郊外のコンビニも少なかった。
だが太らなかったのは、食事の絶対量が少なく、当然摂取カロリーも少なかったからで、それが第一の理由だと思う。
家内と一緒に三重県の名張市に住みだしてからは、積み込んだ後の夕食を必ずとるようになった。その頃は、名張市の自社で積み込むことが多く、家に帰るのは簡単だったからだ。
ただ、それだけでなく、その頃はバブルで忙しく、休む間もなく運行していたので、風呂と食事の後、つい眠ってしまう習慣がついてしまったのである。
起きて出発するのが、夜中の一時過ぎで、名阪国道→東名阪→名神→東名と、毎日高速での運行だった。当然、スピードは100km/h以上だったし、高速上はトラックだらけだった。事故も多く、御殿場~大井松田間の通行止めは週一か十日間に1件くらいで起きていたのではないかと、おぼろげな記憶ながら思っている。
大井松田を過ぎると、ホッとして中井パーキングに立ち寄り、朝ごはんとしゃれ込んだ。その頃は、東京の集中料金所を過ぎると、用賀の首都高速まで、4~5km程度の渋滞は、どの時間帯でもあった頃だ。
その頃の積荷は、関東行ではプラスチックの原料であり、行先は大体、埼玉県の戸田と決まっていた。もちろん他の荷物で八王子や千葉方面に行くことがあった。
その荷物を降ろし終わるのが午前9時頃であり、それから帰りの荷物を積む場所に移動するのにはそんなに手間取ることはなく、午前中には大体着いていた。そこで、昼食をとるのだが、積み込みが始まるまでの時間は、当然ながら仮眠タイムである。
つまり、食べては寝るというこしとを繰り返していたわけで、これはもう太ってくださいといわんばかりである。まして亡くなった家内の料理は美味しく、それまでの外食での少食から、一変して大食漢になってしまった。それでも4年くらいの間に57kgが60kgに増えただけに過ぎない。
それは、関東の運行ばかりではなく、東北や九州行が時々あったからで、家内の手料理を一日おきに食べていたわけではなかった。
そして、さらに私が太り出したのは、この名張市の会社を辞めてからだ。60kgから67kgになるのに、さほど時間がかからなかった。それには、運行形態の変動と荷主サイドの積み込み時間が大きく関係した。
それは、次回以降にしたい。
●トラさんの「長距離運転手の叫びと嘆き」のURL
http://www.geocities.jp/boketora_1119/
●トラさんのアメーバのブログのURL
http://ameblo.jp/tora-2741/
コメント
コメントの使い方