元ベテラン運転手 トラさんの「泣いてたまるか」No.96

元ベテラン運転手 トラさんの「泣いてたまるか」No.96
追想記(遥かなる想い象潟 其の一)
 
村上市からブドウ峠を越えると、やがて山形県に入る。鶴岡市を抜け酒田市に入ると、当時の運送会社の取引先だった一光のガソリンスタンドで最後の給油を行なっていた。そして、私はここで風呂を使わせてもらったのだが、利用者が少ないのか、いつも私がこの風呂を掃除して入っていた。そんな些細なことが、今となっては懐かしい。
一般的に、日本海側は名所旧跡が少ないと言われている。しかし、歴史があるのは言うまでもない。この酒田もその昔は交易港として栄えた歴史を持っている。最上川という天然の水路を通って集積された米や農産物が、北前船によって大阪や江戸に運ばれたのは、私がここに書く必要はないくらい周知の事実だろう。
長距離トラックに乗り始めて、その土地の歴史を思い浮かべながら走っていた。この酒田にもさまざまな思いがあったが、ついぞ市内に足を踏み入れることはなかった。ただ、一度だけ市内に配達に行ったことがあるが、江戸の昔の蔵などを観る機会は訪れなかった。
あの酒田の大火で、昔の蔵が焼けたのか焼け残ったのか、私には知る由もない。歴史遺産は、ある時は失火という人為的なもので無くなり、また、自然現象でもその様相を変える。
その自然現象で、大きく様相を変えたのが象潟だろう。酒田を過ぎ、しばらく走ると現在は仁賀保市内に組み入れられている象潟に入る。
この象潟で、私自身が何かの体験をしたということはない。だが、象潟への想いは、酒田をはるかにしのぎ、いや、どの土地よりも思い入れが強いのかもしれない。それは、私の独りよがりの思い入れなのだが、少々お付き合いいただきたい。
象潟は、紀元前400~500年くらいに鳥海山の大爆発によってできた土地です。かの松尾芭蕉が訪れた江戸の中期には、東の松島西の象潟と呼ばれていたそうで、その美しさが芭蕉自身によって描かれている。以下は、その時の文章から取った、一節と句です。
僭越ながら、私なりの解釈を付け加えました。
松島は笑ふが如く、象潟は怨むがごとし。寂しさに悲しみをくわへて、地勢魂をなやますに似たり。
 象潟や雨に西施がねぶの花
 汐越や鶴はぎぬれて海涼し
松島が笑うが如くとあるのは、湾内に浮かぶ松島が波に洗われ陽気な美しさを保っているということに対し、象潟の怨むがごとしは、恨むや憎しみではなく、潟湖に浮かぶ松の島が憂いに佇んでいるという感覚だと思います。当時、静かな潟湖だった象潟の湖面に浮かぶ九十九島の松が茂る島の、静かな様子が良く描かれていると思います。
つまり、規模からしても宮城県の松島の雄大さと、この象潟の潟湖の静かな湖面に、松の生い茂る島が小じんまりと静かに浮かんでいる様子が、次の句でもうかがえます。
象潟や雨に西施がねぶの花
ここに出てくる「西施」とは、中国の歴史上の四大美人の一人で、あの「臥薪嘗胆」の呉の夫差を惑わせ、ついには呉を滅ぼさせたと言われる傾国の美人です。また、別名「沈魚美人」とも言われます。ねぶの花は、ねむの木の花です。で、何故、芭蕉はこの句の中に西施を織り込んでいるのか? 誰もが疑問を持ちます。私もそうです。そして、この句から、西施が雨の中小舟を浮かべて何か思いを寄せている様子まで連想させます。
雨の降る中、静かな湖面に西施が船を浮かべて、点々と浮かぶ松島の一つで想いを寄せる風景。そして、繊細さを感じさせるねむの木の花……。芭蕉のイメージが何となく伝わってきます。
では、西施とはどんな女性だったのだろうか?
●トラさんの「長距離運転手の叫びと嘆き」のURL
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