追想記(道…失敗)
もう20年以上前のことだ。私がまだ三重県の名張市で長距離の運転手をしていた時代の経験談である。
その頃、私にとっては絶頂期であったと思う。収入面でも精神面でも充実しきっていて、仕事が楽しくて仕方がなかった。無論のこと、後輩の指導にも熱が入っていたのは当然のことだった。
その頃、一人の後輩が、確か秋田か青森に行く予定だったと思う。高速を使わないで行く道順を尋ねてきた。三重県の名張市からでも、北陸周りが時間的には早いのは言うまでもなく、距離的にも新潟以降でかなりの短縮になる。
関西方面のドライバーの方で、大阪出発の場合、新潟までも北陸まわりが近いと考えている方がいるかもしれないが、それは誤りで、新潟と東京の比較では、新潟が20kmほど遠い。もちろん、時間的にはそれなりに早いのは当然だ。何故なら、交通量の違いが歴然としているからだ。
しかし、東京経由の太平洋まわりと新潟経由の日本海側まわりだと、青森市内で100kmほど日本海側まわりの方が短縮になる。と、これはもう、日本地図を開いてみると一目瞭然で、弓なりの日本列島では当然のことだと言える。それは、既に歴史も証明していて、北前船の帰りの航路は日本海側まわりだったし、それもかなりのショートカットをしている。話が横道に逸れたので、元に戻したい。
私が彼に教えたのは、名阪国道に出て壬生野インターで下り、県道や広域農道を経由して、R307で滋賀県の水口を経由して、R365で木之元まで行く道だ。それから先は、R8一本やりである。
問題は、その国道8号線ではなく、新潟県の当時の黒埼、つまりトラステがあるところだが、そこから国道7号のバイパスに乗った後のことだ。このバイパスは高速道路のように盛土になっていて、新潟市内の南部を通り抜ける。市内を抜けると新潟競馬場のある豊栄を通り、新発田市に出る。問題はその新発田市内に入る手前の事だ。
私は、最初の会社では、東北を専門に走っていて国道8号、7号は熟知していた。当然、新発田市内の8号も知っていたのは当然だ。それで、当時まだ未開通だったバイパスが、新発田市内で切れていて、右折して弓道を通り、新発田市内の北部を貫通して通り抜けていた。
それを、そっくりそのまま教えたのである。間違って左に行くと、国道ではあっても海岸線を走る道路で、道幅も狭く国道7号に出る時に苦労しなければならない。慣れた者だと村上市の手前の「乙(きのと)」という信号に出るのだが、初めてだと難しい。
私の話を神妙に聞いていた彼は、満足げに頷いて出発していった。それから数日後、彼は無事に帰ってきた。で、日頃、お礼の言葉を述べる彼にしては珍しく黙っている。で、こちらから声をかけた。
「どうだった? 新発田では間違えないで行ったか」
彼は、苦笑いを浮かべて
「ええ、無事に行けましたよ」
と、軽い返事をした。何となく気になったが、それ以上私は追及しなかった。
それから、数カ月あとのことだ。今度は私自身がその7号線を走ることになったのである。そして、その新発田市内に近づいて…… あれ?
いつの間にか、見覚えのある新発田市内の建物やスーパー、専門店、レストランがトラックの両側を流れていく。そして、信号待ちで止まった時、あの切れていたバイパスが繋がっていたのに気が付いたのだ。それにしても、切れ目の場所から市街地までの短かったこと……。
そして、後輩の彼の戸惑ったような苦笑いを思い出した。私も、それにつられて、苦笑いを浮かべていた。
私がこの道を最後に通ったのは、わずか2年ばかり前のことだった。
●トラさんの「長距離運転手の叫びと嘆き」のURL
http://www.geocities.jp/boketora_1119/
●トラさんのアメーバのブログのURL
http://ameblo.jp/tora-2741/
コメント
コメントの使い方