並走車(12)
スピードに対する慣れというのは、人間誰しも持っている「習慣の快適」だと考えている。
私は若いころ、マージャン、ボートレース、競馬に凝ったことがあり、現在でも、馬券だけは年に一回程度買っている。特に、一番凝ったのはマージャンで、毎日しなければ気持ちが悪いくらいの凝りようで、仕事が終わると、マージャンをしたくてうずうずしていた。しかしながら、しばらく間隔が開くと、したいと言う気持ちが次第に和らぎ、次第に遠ざかっていってしまった。マージャンで楽しむというある種の快適さが、それから離れることによって、違う楽しみが入り込んできたからだと思う。
毎日やっている、または頻繁に行なっている行動が、その人にとって快適になっていき、それが習慣づけられてしまう一例だと思う。当然、生活の中にある、ちょっとした些細な事の中にも、毎日習慣的にやっている行動をしないと気持ち悪いという感覚に陥ることも少なくないのは、みなさんも経験済みのはずだ。
当然、それはスピードの世界にも当てはまることで、いつも自分が慣れ親しんでいるスピード感を削がれると、体の中からムズムズしてきてしまう。私にもその体験は数えきれないほどある。
その一例として、長距離を走る方は良くご存じの名阪国道でのことが挙げられる。名阪国道は、三重県の亀山から奈良県の天理までの無料の自動車専用道路になっていて、その両端が有料の大阪に繋がる西名阪道であり名古屋方面への東名阪になっている。
その名阪国道の大阪方面へ向かう加太トンネルの手前は、かなり長い登り坂であり、勾配も結構きつい。そこでは、重い荷物を積んだトラックは、左側車線をウンウン唸り声を上げながら走って……、いや、走行ではなく歩行している。
私もその時、それなりの重量を積んでいて4速にギアをシフトダウンさせて、喘ぎ喘ぎ上っていた。だが、それでも前には遅いトラックがいて、ゆっくりと確実に近づいてくる。右側車線は乗用車がビュンビュンと走り抜け、トラックも軽快に、あるいは大きなエンジン音ながら、それなりのスピードで追い越していく。
そして追い着いた時、私の気持ちの中では、前の自分よりも遅いトラックの後をついていくか、追い越すかの選択を迫られていた。スピード差は1~2km/h程度しかないのは判っているし、追い越したところで大した時間の節約なんてなりはしないのも理屈の上では承知だった。そして、何よりも右側を走る車を、自分が追い越すまでの間引っ張り迷惑をかけてしまう思いが当然ながら宿っていた。
だが、しかし、右側車線に車の間隔が大きく開いた時、追い越しを選択していた。前の遅いトラックに対するイライラと、自分の方が速いという意識による衝動が、冷静な理屈を凌駕してしまっていたのだ。案の定、右側車線に出て間もなく、後ろには乗用車やトラックが数珠つなぎになった。そして、運の悪いことに、追い越されたトラックは余力があったのか、あろうことか釣られて並走してきたのだ。
ドライバーの顔を覗き込んだが涼しい顔をしている。無意識の並走なのはいうまでもない。そして、右に左に煽って来る乗用車に、そのトラックのドライバーも気が付いたのか、少しスピードをダウンしてくれた。
トラさんのブログ「長距離運転手の叫びと嘆き」
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