元ベテラン運転手 トラさんの「泣いてたまるか」No.76
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寄稿・連載
追想記(並走車8)
私事で恐縮だが、最近「フォレスタ」というコーラスグループの歌にはまり込んでいる。このグループ、音大出身者をオーディションで選び、優秀な者ばかりで構成されているので、歌唱力は折り紙つきなのは言うまでもない。また、歌も歌謡曲や唱歌など多岐にわたっている。その設立目的が美しい日本の歌の継承だというのだから、ジャンルを問わず懐かしい歌を数多く聴かせてくれる。
そして何よりも私がこの混成合唱団(歌により男性、女性、独唱とある…の歌を愛するのは、そのテンポの良さだ。
というと、アップテンポを考える方がいるかもしれないが、全くの逆で、その歌を発表当時のままのスローテンポで歌っている。私にとって、それが何とも言えない魅力で仕方がない。
私は年齢を感じているから、スローテンポの歌を好んでいるわけではなく、自分自身の体内に持っているリズムがスローなだけなのだ。
これは、何事にも言えることで、当然のように運転も若いころから飛ばすという行為はそんなに覚えがない。しかし、それは乗用車での話であって、トラックに乗り出してからは、時間に追われスピードを出すことが多かった。
そして、釣られてくる並走車にイラつき、頭に血をたぎらせていたのも、トラックでのことだった。でも、その時期はとうに過ぎている。高速道路でのトラックに対して釣られてくる乗用車は、ほぼ全部といってよいくらい乗用車が、無意識に釣られてくるのであって、悪気も無ければ故意でもない。そんな乗用車に腹を立てるだけ、自分自身を精神的に、また、事故の危険を考えても、自分を窮地に追い込むけだけのことでしかない。そのことに気がついてからというもの、余裕をもって彼らの釣られてくるという行為に、冷静に対処できるようになっていった。
そして、運転というのは、ある意味スピードに対する慣れでもある。私は若いころ、60日の免停を食らったことがあるのだが、その経歴が消える一年間、高速道でも時速80kmを厳守していた。それに慣れると、その速度が快適になってしまうから不思議なものだ。そして、一年間が過ぎて、さてスピードアップだと思ってスピードを上げた時、荷物だけでなく恐怖感も満載になっていた。そのスピードに慣れきってしまうと、慣れたスピードが自分の心地よい速度であり、自分の居住区のようになってしまっていたのである。
時間との闘いの中で、トラックはスピードメーターと睨めっこしなくてはならない。でも、時間の計算を正しくすれば、それがあまり意味のないことだと気がつくはずだ。次回はその辺を探りたい。
トラさんのブログ「長距離運転手の叫びと嘆き」
http://www.geocities.jp/boketora_1119/
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