ディープサウス (2011/09/05)
8月に走ったルート
マップは休み明けの7月30日にラスベガスを出てから、30日ほど走ってユタ州のシーダーシティーまでの約1万マイル(1万6000キロ)ほど走った経路です。途中2週末、荷物がなく走れなかったのと、ダラスで行なわれたGATSのトラックショーのために4日ほどお休みしましたから、正味3週間ほどで1万マイルの走りでした。ロッキーを東に越えてから、ディープサウスと呼ばれる真夏の湿気が多い一帯を走ることになり、特に今年は40℃を越える日が続く異常に暑い日がばかりで、停車中もエンジンを切ることなくアイドルでエアコンを最強でかけっ放し。エンジンは何日も回しっ放しでした。ディーゼルエンジンは、本当に頑丈に造られているものだと感心しながらの、暑い暑い1万マイルでした。
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トラックストップのコンビニ。あまりの暑さで通常のセントラルエアコンでは間に合わず、臨時に増加された大型エアコン
アメリカの首都であるワシントンDC(District of Columbia 特別区)の南側にポトマック・リバーが流れています。このポトマック・リバーは、北側のメリーランド州と南側のバージニア州との州境になっていますが、アメリカ独立以前の植民地時代からこのポトマック・リバーを境に、大きく南と北に分けて呼ぶのが通例です。戦争による犠牲者がアメリカ最大であったといわれるリンカーン大統領時代の南北戦争も、このポトマック・リバーより北と南の州との戦いでした。
アメリカには、植民地時代から北部の奴隷制を廃止しようとする考え方と南部の奴隷制の永続を望む考え方が根強くあったのですが、植民地としての誕生の条件が違いますから、奴隷制に対して相対する考え方が古くから存在しました。そして後に、北と南の気候の大きな違いから、北部は産業労働者を中心として発展し、南部は広大な土地を奴隷制による主従関係による農業が盛んになるのですが、こうしたポトマック・リバーを境とした北と南の思想の違い、産業の違い、生活形態の違いが南北戦争、さらには60年代の人種差別をなくそうとする市民運動へと発展していくのです。
テキサスの夕日。湿度が高いから太陽が大きく反射し、太平洋に沈む夕日のよう
アメリカ中を走っていると、行った先々でこうした歴史の流れを感じることが頻繁にあります。ディープサウスを走っていると、前述したような歴史の背景から黒人の人たちと接することが多くなりますし、フロリダ州へ行くとキューバやプエルトリコ系が、ニューメキシコ州やアリゾナ州の北はアメリカインディアン、アリゾナ州の南やカリフォルニア州の南はメキシコ人を中心とする中南米系が多くなります。
アメリカは人種のるつぼといわれ、世界中の国々からの移民者が住んでいますから、時代と共にそうした人種による物の考え方を反映した社会事情により、特徴ある街の風景や雰囲気が長い間に築き上げられてきます。毎日走りながら訪れる街々でのふと触れ合う歴史の流れ、OTRドライバーであるからこその役得ではないでしょうか。
テキサスのレストエリアは、がらがらヘビ(Rattle Snakes)にご注意
OTR=Over The Road アメリカを走る長距離トラッカー
アメリカン・トラック野郎 タイユーは走る
http://blogs.yahoo.co.jp/taiyuusa