海コン運ちゃんことヒロさんは運転歴23年のベテランの域に入る海コンドライバーです。
その間、いろいろなトレーラヘッドを乗り継いできましたが、排ガス規制や燃費基準、保安基準などもありましたし、ずいぶんとトラック自体も変わりました。
今回は、乗り継いできたトラクタの変遷をヒロさんに綴ってもらいました。
文/海コンドライバー・ヒロさん、写真/ヒロさん・トラックマガジン「フルロード」編集部
*2025年6月発行トラックマガジン「フルロード」第57号より
14年落ちのボロヘッドからスタートした海コン運転手
自分は、横浜港を拠点に国際海上コンテナをトレーラで運ぶ運転手、いわゆる「海コン運転手」ってヤツをやっております。この業界に足を踏み入れたのが、2002年の30歳の時なんで、かれこれ23年が経とうとしております。
その当時と現在を比べたら、イロイロなことが変わり過ぎていて、挙げたらキリがありません(笑)。一番変わったのは、自分の相棒と言ってもいい、トレーラヘッドでしょう。
最初に与えられたトレーラヘッドは、初年度登録が「昭和63年」の日野自動車のドルフィンでした。この時点で14年経っていたヘッドなんで、いわゆるボロヘッドでしたねぇ(笑)。
型式とかは覚えてないんですけど、エンジンはV型8気筒のノンターボで、外観はヘッドライトは丸目の4灯、屋根には丸目の速度灯が付いていました。古い型なんで、シフトノブが床からニョキッと生えているタイプで、エアコンは着いていたもののあんま効かない(笑)。
運転席と助手席には三角窓が付いていて、窓の開け閉めはハンドルをクルクル回す手動タイプでしたよ。しかも、だいたい時速90kmで作動するスピードリミッターもついていませんでした。

古すぎてリミッターを後付けできず
自分がこの業界に入って何カ月か経った頃に、大型車のスピードリミッター装置が義務化され、新車はもちろんのこと、既存のヘッドにも後着けで着けなきゃならなかったんですけど、自分のヘッドは古すぎてリミッターを着けることができなかったんですよねぇ。今じゃ考えられないことですよね。
その後、同じような型の日野自動車のV型10気筒のノンターボのヘッドに乗り、チョットだけバージョンアップしたんですけど、装備は変わらずで、結局その会社は1年半くらい勤めて辞めました。
次に勤めた会社で与えられたヘッドも日野自動車のV8ノンターボエンジンで、型式は覚えてないですけど、ヘッドライトは角目の4灯で、屋根には角目の速度灯が付いていました。
このヘッドも、初年度登録から10年以上経ったボロヘッドでノンリミッターだったんですが、シフトノブは床から生えているタイプではなかったし、運転席と助手席の窓は電動で開け閉めするタイプだったんで、「またボロヘッドかよ……」と思いつつも、多少装備が良くなったんで、チョッピリ嬉しかったのを覚えてます。まぁ小さな幸せってヤツですね(笑)。
そして2005年3月に転機が訪れます。3年ほどのボロヘッド生活に別れを告げ、ついに新車のヘッドが与えられました。
本当はこのタイミングで新車を与えられる予定ではなかったんですけど、当時の石原慎太郎都知事が、ディーゼルエンジンの排気ガス規制の強化に乗り出して、今まで乗っていたヘッドでは、横浜で車検を通すことができず、いわゆる「車庫飛ばし」をして、他県ナンバーにして車検を通すか、新車に買い換えるしかなかったんですよねぇ。この時は都知事に感謝しましたよ(笑)。
与えられた新車は、日野自動車の「プロフィア」で、型式で言うとPK‐SH1EDJGってヤツでした。エンジンはE13C、直列6気筒のターボエンジンでした。今まで、ボロヘッドにしか乗っていませんでしたから、初めて新車に乗った時の第一声は「何じゃコリャ!」でしたよ。
サスペンションは、後輪のみだけどエアサスだし、運転席の下にもエアサスが入っていて快適だし、サイドブレーキはワイヤ式ではなく、エアで制御するマキシブレーキだし、エアコンは効くし、サイドミラーにはヒーターが入っているから、雨の日でも水滴に邪魔されず、ちゃんと左右が見られるし、ハンドルは軽いし、スピードリミッターが着いたのは残念でしたが、いやー天国のようでした。
が、それと同時に、チョットした怒りも湧いてきました。「みんな、こんな快適な状態で仕事してやがったのか!」とね(笑)。まぁ、そこからイロイロなことを経て、最初の新車を含め4台の新車を与えてもらいました。(続く)
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