追想記(消えた道 其の十六)
玲子が、最も知りたがっていたのは、キャンプの時の私の気持ちが本当だったのかどうかだった。そして、彼女に惹かれていたのは事実だったし、期待を抱かせるような言動もあった。でも、お互いの将来を見据えてのものではなく、本物の玲子への気持ちではなかったと言える。それは、片方の玲子からしてみれば。当時の彼女の境遇が、そこからの脱皮を図りたい気持ちと共に増幅したものではなかったのか。何となく説明が付く。
だが、今日? 幸せだと言っていた彼女に対して、私は期待を抱かせたのだろうか……。数々の言葉を思い浮かべたが、それは、彼女の私への過去の思いに対する配慮であって、今の自分自身の気持ちの表れで出した言葉ではなかった。でも、配慮だとは言え、出雲崎のことは全て嘘だった。
玲子の受け取った「期待を持たせる」言葉は、たぶん一つの言葉ではなく、私の出した言葉の全体から受けるものではないのか……。そう思い、いろいろ考えてみるが、確実にこれと言った言葉は、やはり、見当たらなかった。それは所詮、玲子本人に聞いてみるしかわからないことでしかない。
だが、なぜ私は出雲崎のことで嘘をついてしまったのか、その後悔が、今になって押し寄せてきた。それは、玲子を抱いたことが、自分でも情けないほど感動がなかったせいなのかもしれない。それは、紛れもなく玲子の気持ちに対する裏切りだったからだ。
玲子は、私が彼女自身の転機となったことに感謝していた。ある意味、私は彼女の恩人なのかもしれない。でも、キャンプでの私の思いとは程遠く、そして、今日も彼女の気持ちに沿って話を合わせた感が強い。まして、出雲崎の事、その上、何よりも名前を憶えていたなんて……。彼女がくれたヒントに乗っかって、その時思い出しただけだ。ずっと忘れていた。
だが、彼女はそれに感激し、感情の波が溢れ出し、私に向かって押し寄せてきた。それを、私は受け止めたにすぎなかった。
覚醒した頭では、男女の営みの後の心地良い気怠さはなく、二三時間の仮眠だけで大阪から走って来たのに、あの、事後の甘美な眠気さえ襲ってこなかった。頭に浮かんできたのは、嘘をついてしまった出雲崎のことと、名前をうっかり呼んでしまったことだ。が、名前を呼んだのは咄嗟のことだった。だが、出雲崎のことは自ら進んで口から出たことだ。
私は出雲崎に、そんなに思い入れはなかった。単純に芭蕉の句と、良寛和尚のことを結び付けたに過ぎない。芭蕉はともかくとして、良寛和尚のことは、精々教科書で勉強したくらいの知識しか持ち合わせていない。
国道161号線を通るのは、玲子に説明した通りなのだが、出雲崎の事は関係ない。だが、この道路に感じる魅力がある。それは、他の道路にはない解放感だ。
日本の一般道の多くは山岳地帯であり、海岸線を走る時でも、片側に山がある。また、平地には建物がびっしりと道路の横を埋めていて、田園地帯を解放感も持って走ることはあまりない。
だが、この道路は、主に田んぼだったが目を横に向けると、遠くの景色が一望できた。迫る山肌は遠くにしかなく、運転に緊張感を募らせる建物は少なかった。もちろん、今から三十年前のことだ。
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