追想記(腹子定食)
村上市の国道7号線沿いに、一カ所だけトラックを停めるめられる場所があった。といっても20数年前の話だ。そこは、中に入ると駐車場のスペースはあるが、乗用車用だけしかなく、トラックを停めているのを見たことがない。しかし、その前はバス停で、よく見るような停車帯のような所があり、そこに停められた。
そこに停めた理由は、奥の右側に食堂が見えたからだ。初めてそこへ行ったときは、かなりお腹を減らしていた。食堂の中へ入ると、すぐ右側にサンプルが2つ置かれてあった。その中の一つの名前が「腹子定食」だった。それをよく見てみると、丼ご飯の上に「イクラ」がしっかりと被さっている。ご飯の上にという表現は本当は間違いで、イクラの下にご飯があるのを想像したに過ぎない。そう、イクラの量が半端ではなかった。
もちろん、私はそれをすぐに注文した。値段も、千円を超えるくらいだったと記憶しているが、正確な数字は覚えていない。定食ではなく「腹子丼」と銘打っていたのかもしれないが、他にもおかずが数品一緒だったので、私にすれば定食で食べた感覚の方が強い。これも案外、思い込みなのかもしれない。
それからというもの、この腹子丼を食べるために何度か通ったが、行くたびに食べられたわけではない。市場になかったからと断られたことが多くあり、夏場は全くなかった。だけど、私はこの味が何年経っても忘れることができない。
後日…… いや、後年。ある年の年末のことだった。山形県の寒河江に仕事納めの荷降ろしに行ったことがある。その時は、そのまま正月休みに入るので、亡妻を連れて行った。寒河江で荷降ろしが終り、雪用のブーツなどを買い物をして、食事の話になった。早朝にどこかのエリアで食べていたので、昼食の話だ。
そこで私は、この村上の「腹子丼」の話をして、そこに行くことを提案したのである。亡妻は当時、カロリーに拘っていたので、気が向かなかったようだが、これを一度は食べさせたいと思っていた私は、強く勧めた。
だが、寒河江から村上までの距離は……。当然、山越えの道は封鎖されている。小国を通り荒川で7号線に出て行くしかない。それでも、3時間余りだと私は計算したと思うが、違っているかもしれない。もう、この道を走らなくなって随分の年月が経ってしまった。記憶もあいまいになっている。しかし、その時間がちょうど良いと思ったのは、市場がお昼頃だと聞いていたので、着く時間が2時頃だから、その時間にはイクラの仕入れが出来ているはずだと考えたからだ。
途中、以前走った時のことや月山が春スキーのメッカであること、そして、月山は九州の英彦山や求菩提山と並ぶ山伏達の修験場だということなどを家内に話しかけながら、村上市に着いたのは計算通り2時過ぎだったと思う。が、店そのものが開いてなかった。ガッカリしてた私をよそに、家内は平然としていた。ムッとしたが、黙っていた。
後から気がついたのだが、彼女の友達が福島にいた。その数年前に尋ねたのだが留守だったので、またチャンスがあると、私は彼女を慰めたことがある。その時、福島に行って友達に会いたかった気持ちが強かったのではないか……。
腹子丼」の味付けは、イクラの煮汁が甘辛く、ご飯にもその味がかかっていてとても美味しかった。一度は食べさせたいと思った。私の気持ちと、亡妻の気持ちは一致していなかった。「家内の気持ちを汲み取れていなかった」。そのことを思い出す度に、「腹子丼」の思い出の味の中に、一滴の苦味が混じってしまう。
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