元ベテラン運転手 トラさんの「泣いてたまるか」No.94

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追想記(胎内川)
 
道シリーズを書くことに決めて以来、どんなことを書いてよいのか迷っていた。しかし、きっかけとして書いた前回の国道7号沿線にはけっこう思い出があるので、しばらくは7号線の思い出や出来事を書いていきたい。

前回の新発田市内を通り過ぎ、しばらく走ると胎内川というのが目につく。この川の名前が一風変わっていたので、最初にこの道路を走った時から気になって仕方がなかった。この川を渡ってしばらく走ると、村上市に入る。
その村上市は、江戸時代から鮭の養殖に成功した藩として知られている。江戸時代の中期のことなので、世界でも初めての快挙でもあった。
その頃、私はまだ30代の半ばであり、村上藩が世界初の鮭の養殖に成功した藩という知識くらいしかなかった。そう、学校で習うくらいの知識である。そこで愚かな私は、この胎内川こそが村上藩が鮭の卵を取り出し、稚魚に育ててから放流した川ではないかと考えてしまった。
胎内……、それは、女性の子宮を指す言葉として考えてしまった。私だって母のおなかの中にいる時は、胎児だったのである。つまり、鮭が生まれ育つというイメージに、胎内川とは、ここで卵から孵り育つ。鮭の胎内の川と言うこじつけでの命名ではないかと勝手に思い込んでしまっていた。しかし、その思い込みのこじつけは、私一人でしかなかった(^_^;)

生半可な知識は、大きな過ちを犯す典型的な例である。
その過ちを正すのに、パソコンの検索が大いに役立っている。パソコンという小さな文明の利器が、私にとって物を書くという行為に、そして、私自身の知識の補充に欠かせない。

胎内川の一人勝手な思い込みの過ちに気がついたのは、ある短編小説を書くために胎内市の事を調べている時だった。その時は鮭のことを調べていたわけではないのだが、ついでにそのことも念頭に入れながら調べていた。しかし、どこにも鮭の記述がなかった。
おや? おかしい……。と、その時まで自分の思い込みとは気がつかずにいた私である。おかしいと感じた私は、村上藩の鮭のことを調べずにはおられなかった。が、全く違っていた。その鮭の増殖に成功した川は「三面川」といい、その事業を成し遂げた人物は「青砥武平治」という武士だと知った。
冷夏は、米の不作が必至である。しかし、その時は鮭の遡上が早くなるので、村上藩と領民は大助かりだったという。青砥武平治は、下級武士から70石の石取り武士に出世したそうである。もし、藩の大金を使い失敗していたら切腹ものなので、彼としてもかなりの確信と覚悟があったのだろう。

思い違いや勘違いは、時が経つにつれ、それが事実であるかの錯覚を呼び起こしてしまう。その勘違いが、頭の中に居座り続けると、まるで事実のように固定観念化してしまうのではないか? と、この事実を知った時に、自分の愚かさを思い知った。

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