日本の架装メーカーには、いわゆる100年企業と称されるご長寿企業が多いが、その中でもパブコは断トツの歴史を誇る架装メーカーだ。そのパブコが9月12日、神奈川県海老名市の本社工場において創業125周年の記念イベントを開催した。
文/トラックマガジン「フルロード」編集部、写真/フルロード編集部・パブコ
パブコの125年の足跡
まずはパブコの足跡を辿っていこう。
20世紀がスタートした1901年(明治34年)、静岡県沼津市で加藤房輔によってパブコの前身である加藤諸車製作所(ほどなく加藤製作所に改称)が設立された。
当時の仕事は、大八車と称される純木製の人力荷車の製造で、もちろんすべて手づくりで行なわれた。この大八車こそ今日のパブコに至る原点である。
木工の技術を習得した房輔は、やがて馬車の製造にも取り組み、1920年代には当時走り始めていた自動車の技術を取り入れた改造馬車を製造。人気を博し全国各地から注文が来るようになった。
1923年の関東大震災は、加藤製作所にとっても大きな転機となる。首都圏の路面電車が壊滅状態となり、アメリカから急きょ大量のT型フォードのシャシーが輸入されバスに仕立てられたのだが、路面電車の復旧に伴ってそのバスが余剰となりトラックに改装。
加藤製作所はそのトラックボディを手掛けたことを機に、以来トラックボディも製作するようになっていったのである。
1930年、大八車や馬車の注文は多かったものの、ついに房輔はトラックボディの製造を専業にすることを決意する。この頃にはトラックの荷台や運転台が主な生産品になっていた。
しかし、やがて戦時色が強くなり、加藤車体も時代に翻弄されるようになる。資材統制が厳しくなり、シャシーもなかなか入ってこない。この頃、房輔から息子の金次郎へ代替わりとなり、社名も加藤車体工業へ。仕事も民需から軍需へと様変わりを遂げていた。
戦後も石油系燃料の欠乏から代然車(薪、木炭、半成コークスなどを燃やしたガスでエンジンを動かす自動車)の製造に手を染めるなど苦労の連続だったが、朝鮮動乱による特需から車体架装の需要が急増した。
1961年には現在の拠点がある相模工場が完成し、日本の高度経済成長期とともに大きな飛躍を遂げることになる。なお、現在の社名となるパブコは1990年に改称された。
華やかに創業125周年記念イベントを開催
パブコの創業125周年イベントは、社員とその家族、取引先などを招き、海老名市の本社工場で行なわれた。
ステージイベント、展示エリア、体験イベント、キッチンカー、シールラリーなどが設けられ、手造り感のあるアットホームなイベントである。
まずステージではパブコの秋山健代表取締役が、
「社員やその家族の皆様とともに本日の125周年のイベントを迎えられたことを大変嬉しく思います。
ここに飾ってある大八車からパブコはスタートしたわけですが、創業当時の諸先輩が現在のパブコの製品を見たら、たぶんびっくりすることと思いますし、今ではパブコの製品が日本の物流を支えていると言っても信じてもらえないかもしれません。
ただ、時代が変わっても変わらないものがあります。それは、お客様のお荷物を安全に大切に運んでいただけるような製品やサービスを提供し続けるという我々の使命です。
今はさまざまな変革が起きている時代ですが、我々には125年の歴史があるからこそ、その変化を乗り越え、進化し、挑戦を続けられると思います。
125周年はゴールではありません。これから未来へのスタートです。我々の企業理念『動く未来 進化と共に』を実践し、これからも新たな節目に向かって歴史を刻んでいきたいと思っています」と語った。
その後、三菱ふそうのパトリック・ブルクハート副社長、海老名市の内野優市長らの祝辞が続き、展示車両の紹介に移った。
特に来年発売予定という新型ウイング「エリオン」は注目の的で、接着剤を用いたリベットレスのボディで400kg以上の軽量化を目指すとのこと。
そのほかにも見どころが多く、なかなか楽しいイベントだった。
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