道路啓開の次の段階が応急復旧になります。これは、一定の工事を行ない、一般車両も含め通行できるようにすることをいいます。
東北地方整備局では、道路啓開が進んだ箇所より応急復旧を開始し、震災後一週間で約7割の復旧を終了させました。さら震災後約1カ月の4月10日までに、迂回路を含め全42区間(原発規制区域を除く)の通行を確保しています。
石巻市小船越地内の被災状況
上写真の箇所は3月12日には応急復旧を完了し、3月30日には一般開放された
上部工が流出した沼田跨線橋
橋台背面盛土が流出した川原川橋
道路の被災状況の調査(ガードレール・路肩)
道路の被災状況の調査(陥没箇所)
この迅速な対応について東北地方整備局では三つの理由をあげています。
まず第一は、「災害等における緊急随意契約によりスピーディに工事契約できたこと」。これは、災害時の特例である「緊急随意契約」により、速やかに工事契約が行なえたことを指し、さらには東北管内の施工中の工事の原則中止命令の通知を行なうことにより、災害応急復旧対策に全力を向ける体制がとれたことが大きかったそうです。
次いで第二は、「TEC-FORCEによる情報収集により復旧対策の検討が早く行なえたこと」。東北地方整備局および全国の整備局の応援による緊急災害対策派遣隊「TEC-FORCE」(テクニカル・エマージェンシー・コントロール・フォース)がそれです。これまでの国による緊急支援は、その都度体制をとって対応していましたが、平成20年に創設されたTEC―FORCEは、あらかじめ職員をTEC-FORCE隊員として任命するなど、事前に人員・資機材の派遣体制を整備し、迅速な活動を実施。平時にシミュレーションし訓練を行なうことによりスキルアップを図っていました。このTEC―FORCEを震災2日目から現地派遣でき、被災状況の把握が速やかに行なわれたことが大きな効果を発揮しました。ちなみにピーク時(3月16日)には、63班252人が出動したそうです。またその際、マイクロ通信回線(国交省独自回線)、衛星通信車、Ku-SAT(小型衛星通信装置)、照明車等の活用ができたことが大きく、特に迅速な初動対応および応急復旧への支援として、衛星通信車・Ku-SATを設営し、途絶した通信回線を確保したことが一つのキーポイントになったといいます。
田野畑村の村長から状況説明を受けるTEC-FORCE隊員
さらに田野畑村から7地区の調査要請箇所の説明を受ける
田野畑村に設営されたKu-SAT(小型衛星通信装置)
石巻市に設営された通信衛星車
第三の理由は、「応急組立橋など復旧を迅速に行なう工夫をしたこと」。その対策例としては、津波により被災を受けた橋梁について応急組立橋3橋を速やかに設置。2橋は国交省所有、1橋は自衛隊所有のものを活用したとのこと。また、津波により被災を受けたJRとの立体交差部において、早急な応急復旧のため、線路上の仮設盛土に了解が得られ、短期間で仮設道路ができたこと、さらに盛土流出箇所の早急な盛土材として、近隣の工事用残土等の活用が図れたことなど、現地の状況に応じて臨機応変に作業方法を検討することにより、早急な復旧が可能になったとしています。
組立式橋梁の組立状況
川原川橋の応急組立橋の設置状況
自衛隊による組立式橋梁設置後、3月19日7時40分、片側相互通行開放(南三陸町の水尻橋)
応急復旧後の3月25日17時、沼田跨線橋付近の交通開放
こちらも応急復旧後、3月25日17時に開放された川原川橋
非常時・緊急時にいかに「本領」を発揮することが出来るか、人も組織も真価が問われるのは、まさにそんな時だろうと思います。未曾有の事態に臆することなく、さまざまな困難に果敢に挑み、何を為すべきか何が求められているかを的確に追い求め、速やかに任務を全うした東北地方整備局の戦い……、そこには「常在戦場」の気構えがあります。そんな彼らが決めた合言葉だからこそ、信頼と共感を込めて交わしたいと思います、「がんばろう!東北」。 (キャップ)