ミシュランのトラック用ラジアルタイヤ、誕生60周年

ミシュランのトラック用ラジアルタイヤ、誕生60周年

「ラジアルタイヤの歴史は、ミシュランの歴史」なんてことを言いますが、ミシュランのトラック用ラジアルタイヤが誕生から60周年を迎えました。日本流にいうと「還暦」ですもんね(笑)、すごいと思います。以下は、その偉業を伝える日本ミシュランタイヤのニュースリリースの要約です。

日本ミシュランタイヤは、ミシュランが1952年に世界に先駆けて発表したトラック用ラジアルタイヤが誕生から60周年を迎えたことを記念し、コメントを発表した。

1946年の乗用車用ラジアルタイヤの特許取得に続き、1952年に発表されたトラック用ラジアルタイヤは、モビリティーに大いに貢献する革新的ソリューションとして世界中の輸送業界を一変させた。

 日本ミシュランタイヤの代表取締役社長のベルナール・デルマスは、「ミシュランは、1889年の創業時から現在まで一貫してより良くより安全でより効率的なモビリティーの推進に努めてきたと同時に、早期から環境を保護する姿勢を貫いてきました。オイルショックの約20年前、そして車の燃費が大きな社会の関心事になる約40年前に登場したこのトラック用ラジアルタイヤは、まさに、現在まで変わらず続くミシュランの企業理念を象徴する革新的ソリューションと言えます。ミシュランは革新的ソリューションの普及を図る際には常に事実に基づく分析によって、そのソリューションの有効性をお客様に納得して頂くアプローチをとってきました。日本ではトラック・バス用ラジアルタイヤの市場での普及率はほぼ100%となっており、現在、日本ミシュランタイヤは『リトレッド』や『リグルーブ』などのタイヤ再生ソリューションをお客様に提案しております。特に『リグルーブ』は、世界では70年以上の歴史を持つ一方で、日本では唯一ミシュランのみが促進するソリューションであり、引き続きその普及に努めていきたいと考えています」と語った。

1940年代、ヨーロッパ全域、北米、アルゼンチン、ベトナムで事業を展開していたミシュランは、1952年にはすでにグローバル企業であり、多くの国でタイヤを製造・販売していた。ミシュランのトラック用ラジアルタイヤは、アラビア語、フィンランド語、フラマン語、英語、ポルトガル語、ドイツ語、スペイン語をはじめとして様々な言語で制作されたポスターで紹介された。

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ラジアルタイヤの歴史(参考)

従来のクロスプライタイヤは、20世紀前半の世界のモビリティーに大いに貢献したが、タイヤメーカーは明白な性能向上の限界があることを認識していた。その高速耐久性および回転による発熱に問題があり、タイヤ寿命および総合的な信頼性にはまだ改善の余地があった。そのため、タイヤの故障が原因で車が走行不能になることが多くあったのだ。
1930年代後半、ミシュランの研究者マリウス・ミニョル(Marius Mignol)は、タイヤのサイドウォールに広く間隔をとった放射線状のメタルケーブルを採用したコンセプトタイヤを設計した。非常に特異な構造のため、このプロトタイプは社内で「虫かごタイヤ」と呼ばれた。

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当時のクロスプライタイヤが抱える大きな問題の一つは、回転でタイヤ自体が発熱することだった。その熱は路面と接するトレッド部が発生源であると誰もが信じて疑わなかった。しかし、その常識に疑問を持ったミニョルは、その常識を検証するため、ほとんどトレッド部しか無いこの「虫かごタイヤ」を作ったのだ。そして、このプロトタイプの中にチューブを入れて車に取り付け走らせた。テストと計測を繰り返したところ、その結果は驚くべきものだった。なぜなら熱の発生がごくわずかしか認められなかったのである。このテスト結果から、クロスプライタイヤのサイドウォール部で何重にも交差するプライが、荷重を受けてタイヤが地面と接するたびに起こるたわみによって擦れ合い、熱を発生しているという事実が分かった。クロスプライタイヤと構造が全く異なり発熱しにくいということは、高速耐久性も高いということを意味する。また、クロスプライタイヤのトレッド部とサイドウォール部が一体構造なのに対し、ラジアルタイヤはそれぞれの機能が完全に分離しているため、トレッド部が安定し、タイヤの寿命も伸びることになる。ミシュランは、ラジアルタイヤには輝かしい未来が約束されていると確信した。

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 ラジアルタイヤ技術の研究は、第二次世界大戦中、ドイツ軍占領下のフランスで極秘に続けられた。そして1946年6月4日、ミシュランはラジアルタイヤ「Xタイヤ」の特許を取得した。そしてその数年のうちにラジアルタイヤは、その優秀さを証明することになる。
1951年、ランチアアウレリア(Lancia Aurelia)B20は、ラジアルタイヤを純正装着した記念すべき世界で最初の市販車となった。当然のことながら装着されたタイヤは当時唯一ラジアルタイヤを生産できたミシュランのものだった。ランチアとミシュランの新しいラジアルタイヤは、同年のルマン24時間レースの2リッタークラスで見事優勝し、早々に信頼を確立した。その後さらに、ラジアルタイヤの利点を最大限引き出すため、その特長を考えた駆動系を備えた車が設計されるようになっていった。それは1955年のシトロエンDSの発表で実現し、ラジアルタイヤはフランスでの成功を手にしつつあった。その後の展開は、ご存じの通りである。
ラジアルタイヤが起こした革命に十分対応するため、ミシュランはラジアルタイヤの新技術を他のカテゴリーの車両にも応用した。1952年に最初のトラック用ラジアルタイヤを発表して輸送業界を完全に一変させた。続いて1959年、最初の建設機械用ラジアルタイヤを発表。さらに1981年には最初の航空機用ラジアルタイヤも発表している。ミシュランは1984年にはロードレース用バイクのためにラジアルタイヤを開発し、ラジアルタイヤは二輪車のカテゴリーにも進出。そして、この技術をいち早く市販車用タイヤへ応用し、1987年にA59XおよびM59Xを発売した。このタイヤは、優れたロードホールディング性能を発揮し、新標準を確立した。このように、革新技術の数々がミシュランの歴史を作ってきた。そして、ラジアルタイヤの存在がその事実を何よりも雄弁に物語っている。

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