一昨日は仙台、昨日は盛岡と、東北地方の取材に行って来ました。
仙台は、このブログでもたびたびご紹介している国土交通省東北地方整備局の取材で、徳山日出男局長をはじめ、川嶋直樹企画部長、林崎吉克道路部道路調査官、稲村行彦広報広聴対策官にお会いし、震災当日の極めて混乱した状況の中で、情報をいかに収集し、被災地の道路啓開に挑む「くしの歯作戦」が立てられ、速やかに実行に移されたか、その真髄をお聞きすることが出来ました。
仙台市の青葉区二日町にある東北地方整備局の建物は、築50年。最近のモダンな役所とは異なり、建物の中は狭く暗い上に、今も震災の爪跡である「危険箇所」が随所に残されています。インタビューは川嶋企画部長の部屋で行なわれましたが、柱に掛かる時計の針は震災発生時間で止まったまま、部屋には未だ寝袋が置かれたままです。
壁には亀裂が…
「いやー、これでもずいぶん片づいたほうなんですよ」と屈託なく笑う川嶋部長ですが、震災発生当時、立っていられないほどの揺れで棚やロッカーが倒れ、書類や物品が床にうず高く散乱し、しかも館内は停電する中で、川嶋部長をはじめ幹部職員は即座に常設の災害対策室に集合。すぐに情報収集にあたると共に、その日のうちに「くしの歯作戦」の原型が立てられたといいます。一刻を争う「初動」のお手本がここにあります。
各地の被災状況を映し出した災害対策室のディスプレイ
印象に残ったのは、大畠(国交省)大臣から早々に「第一に人命救助。続いて輸送路を確保。予算は考えないで、局長判断により、考えられることは全部やってほしい」という明確な方針が打ち出されたため、「やらなければならないことを、思う存分やれた」ことが大きいという話でした。もともと事情に精通した有能な人たちが強い使命感をもって事に当たれば、素晴らしいことをなしえる、その典型ではないかと思います。
ちなみに東北地方整備局は、本格的な通信手段が回復するまで当分の間、リエゾン(被災した現地の情報収集を主な目的とする先遣隊)から得られた被災市町村のニーズに対応し、仮設ハウス、仮設トイレ、各種燃料、バックホー等の建設機械、日用品(おむつ、布団等)、食料品(粉ミルク、缶詰等)など救援物資を調達し、現地に送付することまでやっています。これは、もちろん東北地方整備局の本来の仕事の範疇ではありませんが、「所管にとらわれず、やるべきことは全てやる」方針に基づいたもので、ここには、世間一般の「お役所仕事」のイメージは微塵もありません。
パフォーマンスのための「政治主導」、無能な人間が頑張る「政治主導」によってもたらされた「空白の100日間」のツケはあまりにも大きいけれど、仙台には、徳山局長以下、さまざまな困難を乗り越え、めざましい働きをしたサムライたちがいます。国の礎は、永田町ではない、最先端の現場で「常在戦場」の心構えで挑むサムライたちによって築かれるもの、その意を強くした仙台取材でした。明日は、盛岡のもう一人のサムライをご紹介したいと思ってます。 (キャップ)
道路の啓開は一刻を争う被災者の生命線だった